トップページの「幕末京都史跡めぐり」へ戻る。 <幕末京都史跡めぐり・足をのばして >
□ 山中油店<所在地 上京区下立売通智恵光院西入ル> 江戸後期の文政年間(1818-1829)以来、200年近くの歴史のある食用油の専門店。この建物は安政2に建てられた。この辺りは平安時代、内裏(天皇のお住まい)の一角で、室町時代に足利義満が室町殿を造営してからこの一帯はたいへん賑やかな所となり、ここ下立売通り(上の上立売通りも)は、多くの商人が路の傍らに立ち、物を売っていたことからその名が付けられた。 |
□ 新島襄旧邸跡<所在地 上京区寺町通丸太町上ル> 京都御所の東側、寺町通に面して、同志社の創設者、新島襄夫妻の旧邸がある。現在も、当時のまま、大切に保存されている。 |
□ 聚楽第跡<所在地 上京区中立売通裏門西入ル> 聚楽第は,豊臣秀吉が関白就任の翌年、天正14(1586)年から着工し、翌年完成した京での邸宅兼政庁です。周辺には千利休、徳川家康などの諸大名等の屋敷が造られた。「如水町」「浮田町」「飛弾殿町」「福島町」など地名がかつてを偲ばれる。天正16(1588)年には後陽成天皇の行幸を迎えて、権威を示した。天正19(1591)年後に甥の豊臣秀次に関白を譲ると、聚楽第も秀次に譲ったが、文禄4(1595)年、秀吉は秀次を謀反の疑いで自害に追いやった際、秀次の居所となっていた聚楽第も破却した。 正親小学校北東側に聚楽第跡の石碑が建っている。 |
□ 平安京大蔵省跡<所在地 上京区中立売智恵光院> 大蔵省は平安宮の北部にあった、金銭や物品の出納・収納などを職務とする官庁である。 |
□ 楽美術館<所在地 上京区油小路中立売上ル> 樂焼の窯元・樂家に隣接する美術館。1978年に14代・覚入によって設立され、樂家歴代が次代の作陶の参考になるよう残し伝えた作品、古文書、茶道工芸品など約1000点を収蔵・随時展示している。 |
□ 平安神宮 <所在地 左京区岡崎西天王町> 平安神宮は明治28(1895)年に、平安遷都1100年を記念して平安京に遷都した桓武天皇を祀る神社として創建された。昭和15(1940)年には平安京で過ごした最後の天皇孝明天皇も祭神となりました。昭和51(1976)年、焼失しましたが、3年後に再建された。平安京当時の応天門、大極殿などの建築様式を再現しているのが特徴。 |
□ 無鄰菴 (山県有朋別邸)<所在地 左京区南禅寺草川町> 無鄰菴は、明治・大正の元老山県有朋の京都の別荘です。 |
□ 豊臣秀次の墓<所在地 中京区木屋町三条下ル> 京都三条、高瀬川沿いの瑞泉寺に豊臣秀次の墓がある。秀次は秀吉の養子となり、関白の位を継いでいたが、秀吉に嫡男秀頼が生まれてからは、次第に疎んぜられ、高野山において自害させられた。秀次の妻子や妾たち39人も三条河原で死刑に処せられた。後年、菩提を弔うために角倉了以がここに瑞泉寺を建立した。 |
□ 高瀬川<所在地 中京区木屋町通蛸薬師下ル> 江戸時代初期の慶長16(1611)年、貿易商の角倉了以によって、大阪から京都へ、米や炭を舟で運ぶために開かれた人工の水路。幕末になると川辺には土佐、彦根、対馬、加賀、長州の藩邸が続いていた。木屋町には各藩の控屋や寓居の跡がある。 |
□ 御池中学校<所在地 中京区御池通柳馬場東入ル北側> 明治2年5月開校の日本最初の小学校と言われている。戦後の新学制により、「京都市立柳池中学校」となり、統合を経て平成15年4月に「京都市立京都御池中学校」となる。 |
□ 錦市場<所在地 中京区寺町通−高倉通間> 錦小路通りは京都の目抜き通り四条通の一本北に位置し、全長390mのアーケード商店街。この狭い通りの両側に幅は3.25メートルから5メートルの約130軒の店舗が軒を連ねる京都の台所。 |
□ 二条陣屋 <所在地 中京区大宮通御池下ル> 二条陣屋は1670年、この地で米穀・両替商として商売をした、小川千橘(小川祐忠の長男)の邸宅。上洛の際、滞在する屋敷を持たない大名のために、江戸初期に建てられた陣屋宿舎。大名の身の安全を守るため、大広間の天井に武者溜や、隠し階段などの仕掛けがある珍しい建物。 |
□ 俵屋旅館<所在地 中京区麩屋町通姉小路上ル> 宝永年間創業、京都に現存する最古の旅館。禁門の変で焼失し再建された現在の建物は、登録有形文化財に指定。敷地内には、全客室から見えるよう複数の庭園を配置する。 |
□ 頼山陽先生の墓<所在地 東山区円山町> 江戸後期(1780〜1832)の儒学者・歴史家・漢詩人。大阪の生まれ、18歳の時江戸に出て経学・国史を学び、のち京都に上って私塾を開き梁川星巌・大塩平八路らと交わった。日本外史。日本政記など著す。 |
□ 祇園東<所在地 東山区四条花見小路上ル東側> 祇園東も祇園甲部と同じく、八坂神社の門前で開けた花街。もともとは祇園甲部とともに「祇園」として隆盛を極めた街で、明治時代に甲部と乙部に分かれ、終戦後、乙部から「祇園東」へと名を変えた。5つの花街で唯一秋(毎年11月)に行われる祇園をどりには、たくさんの観光客が集まり賑わいを見せている。 |
□ 宮川町 <所在地 東山区宮川町> 宮川町は、出雲・阿国の歌舞伎踊りの小屋や茶屋が発祥とされる花街で、祇園の南側、京都市東山区・宮川筋2丁目から6丁目あたりにある花街です。舞妓・芸妓の数は祇園甲部に次ぐ規模を誇る。毎年4月に行われる京おどりは、他の花街の公演と違い「おどり」と表記されている。 |
□ 耳塚 <所在地 東山区茶屋町> 豊国神社門前にある史跡で鼻塚とも呼ばれる。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役 1592年〜1598年)のうち、慶長の役で戦功の証として討ち取った朝鮮・明国人の耳や鼻をはなそぎし持ち帰ったものを葬った塚。古墳状の盛り土をした上に五輪塔が建てられ周囲は石柵で囲まれている。 |
□ キザクラカッパカントリー<所在地 伏見区塩屋町> 酒造メーカー・黄桜直営の地ビールレストラン。酒造りの工程などを紹介する「黄桜記念館」、併設の「河童資料館」(10〜20時)では、古くから日本人に親しまれてきた河童の起源や歴史、各地の伝承を紹介している。 |
□ 十石船<所在地 南浜町> 江戸時代には高瀬川運河と淀川を結ぶ水路として、物資や人を乗せて運航されていた。酒蔵の町や桜並木、柳並木などの風情を楽しめる。 |