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 <幕末京都史跡めぐり・伏見区>

  □ 寺田屋<所在地 南浜町>

 寺田屋は伏見の船宿。文久2(1862)年、薩摩藩急進派有馬新七以下35名が関白九条尚忠と京都所司代の殺害を計画して集結した。薩摩藩は藩士を鎮圧に向かわせたが両者乱闘となり,有馬以下9名が死亡した(寺田屋騒動)。慶応2(1866)年正月坂本龍馬も伏見奉行所の捕方に襲われたが、難を逃れた。寺田屋は鳥羽伏見の戦に罹災し、現在の建物はその後再建したものである。

  □ 竜馬通り商店街<所在地 竜馬通り>. 

  坂本竜馬が寺田屋事件の際に、この通りを屋根伝いに逃げたと伝えられる商店街。竜馬ゆかりのグッズが販売され、毎年11月15日には竜馬祭も開催される。

  □ 月桂冠大倉記念館<所在地 南浜町>  

 創業370年余り、初代がこの地で酒屋「笠置屋」を営んだのは寛永14年(1637)のこと。伏見奉行所跡から「かさぎや」の屋号入り「通い徳利」が発見されており、土方歳三や新撰組のメンバーも月桂冠の酒を飲んだとかいわれている。

  □  御香宮神社 (薩摩藩が宿陣)<所在地 御香宮門前町>  

豊臣秀吉が伏見城の守り神とした神社で、桃山時代の遺構を残している。鳥羽・伏見の戦いでは官軍(薩摩藩)の屯所にもなった。境内から清泉「御香水」が湧き出たことからこの名がある。伏見の七名水の一つでもある。

  □  伏見奉行所 (旧幕軍が宿陣)<所在地 東奉行町>  

 会津藩・新撰組などの旧幕府軍はここに布陣、新政府軍の砲撃を受け多数の死傷者を出し、淀〜大坂へ退却。ついには京都を後に、江戸に帰還することになる。

現在は市営桃陵団地の西側の入口付近に石碑が残るのみである。