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  <幕末京都史跡めぐり・東山区>

 

     □ 霊山歴史館<所在地 清閑寺霊山町>

 霊山歴史館は日本で唯一の幕末維新専門歴史館として昭和45(1970)年に開館した。江戸中期以降、とりわけ天保期後の諸藩志士をはじめ朝廷、公卿、諸侯、藩主、文人、画家など重要人物の遺墨、詩文、遺品、書状や各種資料・文献などの収集、調査、研究、公開展示を行っている。

    □ 坂本龍馬・中岡慎太郎像<所在地 清閑寺霊山町>

 坂本龍馬と中岡慎太郎の墓の前に立つ二人の銅像。1962年(昭和37年)5月3日に、 京都高知県人会によって建てられた。これと同じデザインで、円山公園にも建てられている。

    □ 坂本龍馬・中岡慎太郎の墓<所在地 霊山護国神社、清閑寺霊山町> 

 京都霊山護国神社に眠る、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓。明治維新の実現に大きな働 きをしたこの土佐の二人の英傑は、1867年(慶応3年)11月15日に近江屋において襲われ、相次いで亡くなった。二人を慕う人は今なお多く、この墓前には常に新しい花が供えられている。また、毎年11月15日には、墓前祭が開かれている。

    □ 霊山護国神社<所在地 清閑寺霊山町>  

 明治元年5月に、明治維新の実現のために倒れた志士たちの霊を慰めるために、明治天皇の発案で創建された神社。ここには、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村寅太郎、武市半平太、木戸孝允、久坂玄瑞、梁川星巌、徳川斉昭、梅田雲浜、真木和泉守、平野国臣、橋本左内、頼三樹三郎、中山忠光など勤王に尽くした志士1356名を祀る。

     □ 高杉晋作寓居<所在地 縄手通白川橋上ル東側>  

  高杉晋作が住まいしていた白川橋の北側の魚品楼跡。晋作の女性交友関係は多彩で、祇園の井筒屋の芸妓小梨花と馴染であった。縄手の魚品楼は長州出入りの店であり、晋作もよく出入りしていた。現在は石碑も残っていない。

    □ 維新の道<所在地  下河原町>

  東大路通りから京都霊山護国神社、霊山歴史館へ向かう参道。幕末の志士たちの熱き魂の足跡をたどることができる。

 

    □ 高台寺月真院 (御陵衛士屯所)<所在地 高台寺通下河原町>

 慶応三年3月に新選組から分派した伊東甲子太郎ら禁裏御陵衛士が高台寺の塔中であった月真院に屯所を構えた。原則として境内は非公開。門前には御陵衛士屯所跡の碑が建っている。

    □ 坂本龍馬・中岡慎太郎像<所在地 円山町>

  円山公園にある二人の像は、昭和11年(1936)に京都高知県人会が建立。戦時中、銅供出のために撤去されたため、現在の像は昭和37年(1962)に再建されたもの。

    □ 一力亭<所在地 四条花見小路通南東角>  

  300年以上の歴史を誇る祇園の中でも格式の高いお茶屋。主人の杉浦治郎右衛門為充が尊皇家のため、志士たちの情報入手の場であった。新撰組近藤勇が公武合体派と会合を持ち、ここで時勢論を述べたといわれている。 

     □ 八坂神社<所在地 祇園町北側>  

 八坂神社境内の北側にあった祇園北林で文久3年8月7日より7日間、京相撲・大坂相撲合同の相撲興行が行われた。二ヶ月前に大坂で力士と乱闘事件を起こした新選組が、大坂相撲と懇意になり、それまでもめていた京相撲と和解させ、その記念に仲直り興行が行なわれた。新選組は警備を担当した。