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 <京屋敷めぐり・東山区>

 

 膳所本多屋敷 <所在地  祇園会館、新橋南通東大路西側付近>

 幕末期、最後の藩主である本多康穣の代に藩内では尊王派と佐幕派が藩の主導権をめぐって争った。このため、将軍・徳川家茂の膳所宿泊が中止になるほどであったが、藩内部でやがて佐幕派が力を盛り返し、尊王派11名を処刑した。しかしその後、佐幕派であった川瀬太宰が尊王派に殺されると尊王派が力を盛り返し、明治元年(1868年)の戊辰戦争では新政府側に与して桑名藩攻めに出兵した。

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西大路市橋屋敷 <所在地   清水小学校東側付近>

 藩主市橋長和ははじめこそ佐幕派であったが、次第に新政府寄りになり、明治元年( 1868年)の東京奠都では、明治天皇の守護と京都警備に務めた。

 

 

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水口加藤屋敷  <所在地 東山区役所西側付近>

 天和2年(1682)石見国から加藤明友が入り水口藩が成立、以後明治維新まで続いた。

 

 

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松代真田屋敷  <所在地 洛東中学付近、六波羅蜜寺南側付近>

 幕末期には8代幸貫が老中として幕政に関与している。明治維新の際、当藩は比較的早くから倒幕で藩論が一致し、戊辰戦争には新政府軍に参加した。

 

 

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 北条水野屋敷 <所在地 六波羅蜜寺東側付近>

 安房北条藩の3代藩主水野 忠韶は、1万5千石を領した。のち文政10年(1827)、上総国鶴牧藩に移封され、北条藩は廃藩となった。