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  <幕末京都史跡めぐり・上京区>

 

     □ 大久保利通旧邸跡<所在地 石薬師通寺町東入ル南側>    

 薩摩藩士大久保利通(当時大久保一蔵)が慶応2年(1866)から慶応4年(1868)までこの地に邸宅を構えた。岩倉具視らと倒幕のために奔走した時期です。京都御苑・石薬師御門近くにひっそりと碑がある。

 

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 □   吉田屋跡<所在地 丸太町通上ル東三本木東側> 

 幕末、この附近は花街として賑わっていた場所。吉田屋は維新の志士が密会の場所としてよく利用した料亭で、かの桂小五郎も出入りしていた。吉田屋に籍を置いていた芸妓幾松が新撰組に追われた桂小五郎を匿って逃がしたという有名な逸話もここで生まれた。この場所では、平成九年(1997)まで清輝楼と呼ばれる料亭(旅館・大和屋)が営業していた。

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 □  京都守護職屋敷跡<所在地 下立売通釜座上ル> 

 幕末京都の警備を命じられた、京都守護職は市中に数カ所の広大な屋敷を構えた。現在の京都府庁にあたる敷地もその一つで、この敷地は上屋敷跡にあたり、度重なる増改築を経て、慶応元年(1865)に完成した。規模は現在の府庁の敷地ほぼすべてを占め、正門や敷石、玄関等はたいへん豪華なものだったといわれている。京都府庁の南側正門、入って右手の植え込みに石碑と説明板がある。


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 □ 京都守護職屋敷正門<所在地 猪熊通丸太町下ル>

 京都守護職屋敷の建物はほとんど壊されてしまったが、福井藩邸跡の京都国際ホテル裏手に立派な門構えの正門が移築保存されている。