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 <幕末京都史跡めぐり・下京区>

 □ 光縁寺<所在地 綾小路通大宮西入ル>

 浄土宗知恩院の末寺−1613年頃の創建で入り口には「新選組之墓」と刻まれた石碑がある。供養されている隊士は27名。山南敬助をはじめとして、河合耆三郎たちのお墓がある。

 

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   □ 古高俊太郎邸跡<所在地 河原町通四条上ル>  

 新選組に捕縛され、壬生の屯所で過酷な拷問を受けたとされる。
これが、三条小橋の旅館・池田屋における「池田屋事件」の端緒となった。禁門の変で洛中が大火に見舞われた後、古高俊太郎は六角獄舎で処刑された。現在は志る幸(しるこう)という味噌汁を中心とした料理店になっている。

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    □ 角屋もてなしの文化美術館<所在地 西新屋敷揚屋町>  

 格子造りの窓が美しい建物は、現存する唯一の寛政期に造られた揚屋建築。ほぼ幕末当時の姿で残されており、華やかだった江戸文化に触れることができる。新撰組や薩摩・長州の藩士たちも、ここで毎夜、酒宴を催していた。

    

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   □  輪違屋<所在地 西新屋敷中之町>

 風情ある建物は、安政4年(1857)に建てられたと伝えられている。現在も太夫を抱え、置屋と揚屋を兼ねて営業しているため内部は非公開。

 

    

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    □天満屋騒動跡<所在地 油小路通花屋町下ル西側>

竜馬暗殺の黒幕は紀州藩と考えた海・陸援隊が、天満屋に滞在する紀州藩士を襲撃、警護の新選組と激突した事件。この騒動で死んだ中井庄五郎の名を刻んだ碑が建っている。