大堰川と渡月橋と嵐山
架けられたのは承和3年(836)、空海の弟子である道昌によると伝えられている。桂川(下流は桂川、上流は大堰川、保津川という)に架かる全長154mの嵐山を代表する橋で、三条通は渡月橋東詰をもって終わる。
平安期には天皇の行幸が多く、貴族たちも頻繁に訪れたという。橋の由来は「くまなき月の渡るに似たり」という亀山天皇の言葉から名付けられたと云われている。 |
天龍寺(御嵯峨院仙洞御所・亀山殿跡)
臨済宗天龍寺派の大本山で京都五山の第一位。歴応2年(1339)、室町幕府の初代将軍足利尊氏が、御醍醐天皇の菩提を弔うために建てた寺。開山は夢窓疎石。創建以来、8回の大火に見舞われ、現在の堂宇の多くは明治期の再建になる。 |
庫 裏
庫裡は明治32年(1899)の建築。庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持っている。 |
達磨図
庫裏の玄関には平田精耕老師(天龍寺第9代管長)が描いた達磨図がある。 |
大方丈
大方丈は明治32年(1899)の建築。方丈は住職の居室、中央には 藤原時代に作られた釈迦如来像(重要文化財)がある。 |
「雲龍図」の襖絵
米ボストン美術館が所蔵する、大方丈の曽我蕭白(そがしょうはく)筆「雲龍図」の複製品。全8面で、並べると幅10.8メートルになる墨絵の大作。 |
大方丈の前庭・曹源池庭園
開山夢窓疎石の作庭になる嵐山や亀山を借景にした廻遊式庭園。池の前庭には州浜形の汀や島を配し、白砂と緑が鮮やかである。国の史跡・特別名勝第一号に指定、平成6年(1994)世界文化遺産に登録。 |
前庭から大方丈を見る
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小方丈(書院)
小方丈は大正13年(1924)の建築。書院で2列に多くの部屋が並び、来客や接待、様々な行事、法要などに使用される。
床の間には平田晴耕老師(天龍寺第9代管長)の筆による達磨図が見られる。 |
多宝殿
多宝殿は昭和9年(1934)の建築。中央に後醍醐天皇の像、両側に歴代天皇の尊牌が祀られている。 |
野宮神社
源氏物語の賢木の巻にも描かれている古社。現在は縁結びにご利益のある神社として人気が高い。 |
大河内山荘
往年の映画スター大河内伝次郎が30有余年をかけて建てた約6000坪の別荘。 |
常寂光寺
日蓮宗の古刹で紅葉の名所として知られる。仁王門の仁王像は運慶作。 |
落柿舎
松尾芭蕉の門下で蕉門十哲の一人に数えられる向井去来が結んだ草庵。庵は茅葺きで、庭には去来や芭蕉の句碑がある。 |

建物は4畳半、3畳、2畳3室の計5室からなり、句会などが開かれている。 |

芭蕉が「嵯峨日記」の最尾にしるした句です。「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」 |
二尊院
嵯峨天皇の命を受けて慈覚大師(円仁)が創建。釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を本尊として祀ることから呼ばれる。 |
祇王寺
大覚寺の塔頭の一つで、平家物語ゆかりの寺。平清盛の寵愛を失った祇王が、妹・母とともに出家して、仏門に身を置いたという話にちなんで建てられた庵。
入口の門をくぐると苔むした庭園と美しいカエデが広がっている。 |
清凉寺(嵯峨釈迦堂)
源融の別荘跡に阿弥陀堂を建立。本尊の釈迦如来像(国宝)は名釈迦の一つに数えられている。 |
大覚寺(旧嵯峨御所大覚寺門跡)
嵯峨天皇の離宮の跡地に建立され、南北朝時代には南朝の御所となり、嵯峨御所と呼ばれている。源氏物語の主人公「光源氏」のモデルとされる源融は、嵯峨天皇の第十二皇子にあたる。
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式台玄関
江戸時代の建築物で、木造 入母屋造瓦葺、正面は銅板葺きの唐破風の造りになっている。 |
障壁画
大玄関(式台玄関)に飾る松の間の障壁画は、狩野永徳によって描かれた「松に山鳥図」です。大きな松に山鳥のつがいが描かれている。 |
宸殿の前庭
後水尾天皇から寄進されたと伝えられる宸殿前に広がる美しい白砂。「左近の桜・右近の橘」が配されている。廊下・広縁はすべてうぐいす張りとなっている。 |
勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)
嵯峨天皇をはじめ後光厳(ごこうごん)・後花園・後奈良・正親町(おおぎまち)・光格天皇の勅封心経を奉安し、薬師如来立像が安置されている。1925(大正14)年に法隆寺の夢殿を模して建立された。 |
村雨の廊下
諸堂を結ぶこの回廊は、縦の柱を雨、直角に折れ曲がっている回廊を稲光にたとえ、「村雨の廊下」と呼ばれる。 |
大沢池
平安期に営まれた嵯峨天皇の離宮造営 にあたって唐の洞庭湖を模して作られ、「庭湖」とも呼ばれる。 |