全国の幕末300藩について、各藩の藩主と石高、将軍との関係(親藩、譜代、外様)は八幡和郎氏の「江戸300藩県別うんちく話」を参照の上、幕末期に於ける諸藩の動向などを付け加え取り纏めている。尚、別ブログの「京屋敷めぐり」にて、幕末の動乱期の各藩<京屋敷地(〇印)の箇所>の対応状況について、詳しく紹介しているので併せてご覧願います。
ここで、幕末期に於ける諸藩の動向について少し触れると、長年続いた江戸幕府の鎖国下、嘉永6年(1853)、アメリカのペリー提督の黒船艦隊の浦賀来港で、時の江戸は混乱を極めていた。一方政局の中心、京都の街には、全国から尊王攘夷の志士たちが続々と集まり、尊皇と佐幕、開国と攘夷に分かれ激しく対立し、幕府の権威は大きく揺らいでいくことになる。
慶応4年(1868)には、鳥羽伏見(京都市)の戦いで敗れた旧幕府軍は会津へと向かい、会津藩を中心とする奥羽越列藩同盟側と新政府軍が熾烈な戦いを繰り広げるが、列藩同盟側の惨敗という形で終わる。最後の望みを掛けて、見知らぬ大地、蝦夷地を目指し、明治2年(1869)五稜郭を舞台となる箱館戦争で、新政府側が勝利を収め、明治新政府の手に政権が移っていくのです。
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