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足柄城跡・足柄万葉公園

 

 

 足柄城は築城者、年代ともに不明であるが、足柄峠(759m)の頂上に、戦国時代、後北条氏によって本格的な山城が築かれたとされている。この足柄峠は駿河(静岡県)と相模(神奈川県)の県境に位置し、8世紀頃から足柄古道(国道246号線)が通じ、足柄城は山中城、韮山城と並んで、北条氏の本城・小田原城を守る箱根の重要な防衛拠点であった。天正18年(1590)の小田原の役では、豊臣軍の攻撃を受け、あえなく落城、そのまま廃城となった。

 城跡は今も台地の形状をとどめ、曲輪跡、空堀、土塁、井戸跡などの遺構が残され、城址公園として整備されている。本曲輪からは富士山が一望できるスポットの一つですが、この時は、天候に恵まれず残念ながら見ることは出来なかった。富士山を見るのなら、初冬から早春の湿度の低い日が最高です。

 足柄万葉公園は、足柄峠から北東約600mにあり、万葉集より足柄を詠んだ歌17首のうち7首の歌を刻んだ歌碑と、歌に詠まれる花木が植栽されています。ハイキングコースは軽いアップダウンを繰り返す平坦なコースで歩きやすく、根府川石に刻まれた歌碑の文字は風化して読み取ることは難しいが、万葉の頃の面影を偲びながら自然と変化に富んだ景色を楽しむことができます。

 

 

 足柄城跡

城跡への登り口

標高759mの足柄峠に築かれた城、現在は足柄峠城址公園となっている。 

一の郭(主郭)

 5ヶ所の郭(曲輪)は空堀を隔て配置され、足柄峠を通る足柄古道を押さえる形になっている。

二の郭

 

空堀跡 

 

土塁跡 

 

玉手ケ池

 主郭にある玉手ヶ池は、「雨乞い池」「底知らずの池」などとも呼ばれ、池の底が小田原に通じているという言い伝えがある。足柄峠の守護神足柄明神の姫・玉手姫に由来する。

本曲輪から眺める景色

 好天に恵まれず、天気がよければ富士山が一望できる。別名「霞城」ともいう。

新羅三郎義光吹笙之石

 義光が戦場に赴く途中、豊原時秋に笙の秘曲を伝授したという跡。 足柄峠では、その伝説にちなんで、毎年9月第2週目の日曜日に静岡県小山町と協同で「足柄峠笛まつり」が開催される。

 


 足柄万葉公園

 それぞれの歌碑に示した番号は現地の「案内板」に記載している歌碑設置ポイントと連動しています。5番歌碑は見つかりにくいところにあり見落としている。

1番歌碑

鳥総(とぶさ)立(た)て 足柄(あしがら)山に 船木(ふなき)伐(き)り 樹(き)に伐(き)り行(ゆ)きつ あたら船材(ふなき)を (巻3-391)

作者 造筑紫観世音寺別当 沙弥満誓(さみのまんせい)。譬喩歌。 

2番歌碑

足柄(あしがり)の 箱根の嶺(ね)らの 和草(にこぐさ)の 花(はな)つ妻(づま)なれや 紐(ひも)解(と)かず寝(ね)む (巻14-3370)

作者不詳。相模国の歌。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。 

3番歌碑

足柄(あしがり)の 吾(わ)を可鶏山(かけやま)の 穀(かづ)の木の 吾(わ)をかづさねも 穀(かず)割(さ)かずとも (巻14-3432)

作者不詳。相模国の歌。 

4番歌碑

わが背子を 大和へ遣(や)りて まつしだす 足柄山の 杉の木(こ)の間か (巻14-3363)

作者不詳。相模国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。 

5番歌碑

足柄(あしがり)の 崖(まま)の小菅(こすげ)の 菅枕(すがまくら) 何故(あぜ)か巻(ま)かさむ 児ろせ手枕(たまくら) (巻14-3369)

作者不詳。相模国の相聞往来の歌。民衆の中で歌われていた恋愛の歌。 

6番歌碑 

足柄(あしがら)の 御坂(みさか)に立(た)して 袖振らば 家なる妹は 清(さや)に見もかも (巻20-4423)

作者 埼玉(さきたま)郡の防人。上丁(かみつよぼろ)藤原部等母麿(ともまろ)。 

7番歌碑

足柄(あしがり)の 御坂(みさか)畏(かしこ)み 曇夜(くもりよ)の 吾(あ)が下延(したば)へを 言出(こちで)つるかも (巻14-3371)

作者不詳。相模国の歌。相聞歌で民衆の中で歌われていた恋愛の歌。