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国指定史跡・日本100名城
鉢 形 城

 鉢形城は、荒川と深沢川の合流地点の断崖上に、文明8年(1476)、山内上杉氏の家臣長尾景春が築いたとされる東西約800m、南北約400m程の平山城。その後、永禄3年(1560)頃、北条氏康の四男 氏邦が大改修を加えて北条氏の支配下に入り、北関東支配の重要拠点となった。

 天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に当城も前田利家、上杉景勝、真田昌幸などの大軍に囲まれ、一ヶ月の籠城戦の末に開城した。その後、徳川氏の関東入国に伴い、この地を統治した。

 城は国の史跡に指定され、日本100名城にも選ばれている中世城郭です。

 

鉢形城歴史館

 鉢形城の歴史や構造、豊臣秀吉による城攻略の資料などが展示、解説されている。

諏訪神社(虎口) 

 諏訪神社に向かう部分が虎口(出入れ口)になる。

復元四脚門

 三の曲輪へ向かう虎口には四脚門と石段が復元されている。 

三の曲輪(伝秩父曲輪) 

 この曲輪の土塁は全長約100m、高さは約4.2m、馬踏(上幅)約6m、敷(下幅)約12mの規模を持ち、城内でも最もよく残っていた。 

石積土塁と雁木

 河原石を3〜4段の階段上に積み上げ、雁木と呼ばれる階段も造られていた。有事の際に城兵は、この階段を足がかりに土塁上に駆け上がり防御したのではないか。 

石積排水溝

 発掘調査に基づき、排水溝が復元されている。 

井 戸

 発掘調査に基づき、井戸が復元されている。 

馬出と復元木橋 

 馬出と空堀に架かる木橋が復元されている。

二の曲輪と三の曲輪の間の空堀と土塁 

 三の曲輪から木橋で馬出に入り、屈曲した土橋を抜けて二の曲輪へと至る。二の曲輪の堀の底には障子状の「畝」が設けられている。

二の曲輪

 掘立柱建物跡、工房跡、土杭、溝などが検出さている。 

二の曲輪の空堀と土塁

 北の端に広く長い土塁が築かれている。 

城山稲荷神社

 神社の参道に沿って、土塁が確認されている。 

本曲輪

 御殿曲輪と御殿下曲輪に分かれている。かなり広い面積で、西側が高台になっており、高台沿いに荒川が流れている。 

御殿曲輪(主郭)

 城主の舘があったと伝えられている。城の最高地に位置して、背後はすぐに荒川の段丘となる。 

田山花袋の詩碑

 田山花袋が大正7年に鉢形城跡を訪ねた際に詠んだ漢詩を刻んだもの。刻まれた文字は武者小路実篤によるもの。 

笹曲輪

鉢形城の搦手に当たるのが笹曲輪。 

石垣跡

 当時築かれていた石垣跡が確認できる。 

復元地形模型

 笹曲輪跡に城のオブジェがある。 

 

深沢川

 御殿曲輪と外曲輪を仕切る形で深沢川が流れている。

 

外曲輪

 深沢川の対岸には帯状の外郭が有り、天然の要害を巧みに利用している。

<案内板説明文より抜粋>