称念寺本堂(重要文化財)
南御堂ともいう。江戸時代初期に再建された大規模な浄土真宗本願寺派の寺院。太鼓楼、庫裡、客殿、対面所は市指定文化財。客殿の今井館は今井宗久の旧居。 平成31年の完成を目指し、本堂の解体修理中です。 |
明治天皇今井行在所
明治10年に明治天皇が畝傍御陵へ行幸されたときの宿舎(行在所)になった。宿泊された部屋も残っている。 |
今西家住宅(重要文化財)
今井町の西端にあり、惣年寄の筆頭を務めていた家です。慶安3年(1650)に建てられた民家ですが、城郭のような構造で別名「八つ棟造り」とよばれている豪壮な建物です。
内部は西側を広い土間とし、北側に大戸を開き、西北隅に「シモミセ」を設けている。居室は6間取、土間に沿って「ミセノマ」、「ナカノマ」、「ダイドコロ」。上手は「ミセオク」、「ナンド」、「ブツマ」となっている。土間には柱を立てず広い空間として残し、大梁3本を中心とした豪壮な小屋組みを見上げることができる。 |
土間と
北側二階のいぶし牢
広い土間では簡単な裁きが行われた。二階が罪人を収容すための部屋。土間には柱を立てず、大梁3本の豪壮な小屋組になっている。 |
みせとみせおく
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なかのま
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なんど
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豊田家住宅(重要文化財) 模型(華甍展示)

旧は、木材商「西の木屋」牧村家の所有で、幕末には大名貸しを行い藩の蔵元などを務めていた豪商です。建物は寛文2年(1662)に建設されたもので、今西家住宅と並び、今井町における上層町家の好例です。 |
中橋家住宅(重要文化財)
称念寺の筋向いにあり、屋号を「米彦」といい江戸時代は米屋を営んでいました。主屋は、18世紀後半頃に建てられた平屋建ての町家でしたが19世紀初頭頃、正面通りに「つし二階」が増築されました。 |
上田家住宅(重要文化財)
今西家・尾崎家と並び惣年寄を務めていました。主屋は祈祷札から延亨元年(1744)頃の建築とみられます。入り口を西側に設け屋根も他家と異なっています。内部も惣年寄の特権からか装飾的な要素が多いです。 |
音村家住宅(重要文化財) 模型(華甍展示)

「細九」の屋号で金物問屋を営んでいました。17世紀後半頃主屋を建て、後主屋西北部に「つのざしき」を増築し、19世紀中頃、西側に座敷が追加されました。当家は時代の情勢に合わせて逐次増築されているのが特徴です。 |
旧米谷家住宅(重要文化財)
「米忠」の屋号をもち、広く金物商を営んでいました。18世紀中頃の建物で、後に内蔵や蔵前座敷を増築しました。主屋は他家と異なり、5室型で農家風のイメージが強い建物です。 管理人の方がいて、建物の内部を見学できる。 |
帳 場
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居 間
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座 敷
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大きなかまどのある土間
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中二階の丁稚部屋
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裏庭にある蔵前座敷(土蔵)
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河合家住宅(重要文化財)
江戸時代初期頃、上品寺村より移住し、古くより「上品寺屋」の屋号で酒造業を営んでいます。18世紀中頃には建てられた早い時期の二階建て町家で二階に座敷などが設けられており、豪商の片鱗がうかがえる建物です。 |
高木家住宅(重要文化財)
19世紀初頭頃、「四条屋」より分家し「大東の四条屋」の屋号で、酒造業などを営んでいました。発達した二階建てで、一階、二階共2列6室型の部屋となっています。また正面通りの格子の精彩さ等、幕末期の上層町屋の好例です。 |
吉村家住宅(重要文化財)
旧は上田家で、「壺八」の屋号をもち、肥料商その他の商いをしていました。主屋は文化2年(1805)の再建ですが、他の建物は約50年遡ります。当家は狭い敷地に多くの建物を配置し、一般商屋の屋敷構えを知ることができます。 |
山尾家住宅(県指定文化財)
十市群新堂村より移住したと伝えられる「新堂屋」の屋号で、幕末には町年寄を務めた大商家です。広い敷地に、数多くの建物が道路に面して建ち、町並み景観の一翼を担っている建物です。
<橿原市教育委員会パンフより> |
恒岡醤油醸造本店
江戸時代には織物業を営んでいたそうですが、100年ほど前の明治43年に醤油醸造業に転換。創業以来、伝統的な製法で醤油の醸造業を守り続ける老舗醤油店です。
お土産用にと店内に入ると奥から店主が出てこられたので、醤油造りについてを尋ねると、工程など詳しく伺いながら特別に蔵の中を案内、見学をさせて頂いた。蔵の中に入ると醤油のいい香りに体が包まれ、旅のよい思い出となった。 |
諸味桶
しょう油麹を食塩水の中に入れ約1年間、発酵熟成させる杉の30石桶です。100年使っているそうです。 |
麹を造る室(むろ)
壁は木の調湿効果などからコンクリートや鉄でなく、木で覆われている。 |
順明寺 表門(市指定文化財)
浄土真宗本願寺派の寺院で、北の御堂ともいわれる。寛永3年(1626)に現在地に移したといわれている。表門は市指定文化財です。 |
西光寺
浄土真宗鎮西派の寺院。創立沿革は不明ですが、文禄4年(1595)に既に創立が記されている。 |
春日神社
旧常福寺は今井町の西南隅春日神社の境内にあって、現在は観音堂をはじめ行者堂、門などが残っている。沿革は明らかでないが、延宝9年(1681)から天台宗多武峰の末寺となり明治初年まで存続した。 |
旧高市郡教育博物館(県指定文化財)「華甍」(はないらか)
明治36年(1903)に建てられた県下初の社会教育施設。現在の建物はそれを復元したもので、今井町の歴史、町並みの特徴などを紹介している。 |
蘇武井
蘇武井からは良質の水がこんこんと湧き出てき、今井の里の千軒の家々がこの水を毎日汲んでも、またいかなる日照りが続いても、枯れることはなかったと云われている。 |
飛鳥川と蘇武橋
古代、万葉人に数多く歌われた 飛鳥地方を貫流して大和川にそそぐ美しい川。現在は川幅が狭くなっているが、古代には水量も豊かで飛鳥の地を潤していた。 |