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石 見 銀 山 め ぐ り

 

 石見銀山は、1526年(大永6)、銀色に光る仙ノ山(標高537m)が発見されて以来、約400年にわたって採掘されてきた日本有数の鉱山です。その採掘鉱山(銀山地区)に隣接する大森の町並みを訪ねてきました。

 スタート地点は大森代官所跡、ここから石見銀山公園までの約800mの間に代官所跡や武家屋敷、商家(写真右―銀山側からの熊谷家)、社寺などが混在し、赤い石州瓦の家々(同左)が軒を連ねた町並みは美しく、各所に当時の面影を色濃く残しています。

石見銀山公園から西に向かって、約2.3km、徒歩で約50分ゆるやかな上り道を歩くと銀山地区の代表的な龍源寺間歩があります。今も山中には600ヶ所を超える間歩(坑道ー銀を掘った跡)の跡が残されているが、17世紀前半には日本の銀は世界の産出量の三分の一を占めたと云われ、往時の繁栄ぶりをよく留めています。1923年(大正12)に閉山となったが、「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、2007年7月にユネスコの世界遺産に登録されました。

 

  大森 町並み地区

 

代官所跡(石見銀山資料館)

 江戸幕府が現地に置いた支配拠点施設の跡。この建物は1902年(明治35)建築の邇摩郡(にまぐん)役所ですが、現在石見銀山資料館として利用されている。


熊谷家(重要文化財)

 大森地区最大の商家建築。総漆喰の建物で1800年(寛政12)の大火後の1801年(享和元年)に再建されたものです。金融、酒造業などを営みながら町役人、代官所の御用商人を務めた。

奥の間 

役人を迎えた書院造りの客間。

地下蔵

居間の地下に設けられた地下蔵。

土 間 と 台 所

 太い梁と高い天井などの造作が歴史を感じさせる。右に竈が見える。

しぼりの装置 

 熟成したもろみを酒袋に入れ、ふねの中に並び重ねて、上からジャッキで圧力をかけて絞っていきます。するとふねの下の銚子からしぼりだての新酒が出てきます。

北道具蔵

 5つの蔵のうちの一つ。


岡 家

 代官所の土着する役人である地役人の遺宅。ここは銀山付役人の住宅。

青山家

 江戸時代に石見銀山の領内の村々と代官所の間を公的に取り持つ「郷宿」田儀屋遺宅。

旧河島家(市指定文化財)

 寛政の大火後、1800年代初頭に建築された代官所地役人遺宅。地役人の総括役である組頭まで昇進した武士で、1800年初頭に建てられた屋敷は、配置や間取りなど武家住宅の特徴をよく残している。上層の武家の場合、通りに面して門、塀があって主屋との間に庭を設けている。

柳原家

 代官所の銀山付同心遺宅。

阿部家

 代官所地役人の遺宅。大森では最大級の武家住宅。

三宅家

 代官所地役人の遺宅。武家住宅。

金森家

 郷宿泉屋(旧河北家)の遺宅。商家としては熊谷家に次ぐ規模の建物。

勝源寺

 歴代奉行や代官の菩提樹として大森の百か寺の中で筆頭格の寺。本堂や四脚門が市指定の文化財になっている。

西性寺

 本堂横の経蔵には、「左官の神様」とも呼ばれた松浦栄吉(同市仁摩町出身)による鏝絵が見られる。

観世音寺

 岩山の上に建てられた大森代官所の真言宗の祈願寺。

境内からは大森の町並みが一望できる。

栄泉寺

 1596年(慶長元年)創建の曹洞宗の寺院で、石見銀山における禅の修業道場でした。薩摩芋を広めた第19代代官・井戸平左衛門とゆかりがあり、「お芋発祥の寺」ともいわれている。

羅漢寺

 銀山で働いて亡くなった人々や祖先の霊を供養するために、5年もかけて1766年完成。石窟の中に500体の羅漢が安置されている。

旧裁判所(町並み交流センター)

 1888年に建てられた旧裁判所。現在は石見銀山の町と暮らしを紹介している。

銀山ヴィレッジ理容館アラタ

 「理容遺産」全国第一号として認定された店。アールヌーボー調の理容椅子や手動式バリカンなどの理容道具が展示されている。

石見銀山大森郵便局

 町並みに合わせた町家風の建物。赤いポストが懐かしい。