岩村城跡(県指定史跡)
藤 阪
登り口より本丸までは800mの石畳の急な上り坂になり、藤阪は登城口から一の門までを云う。藤の実を植え大木になったことに因んでいる。 |
初 門
一直線に登ってきた藤坂はここで地形に沿って大きく曲げられ敵が攻めてきたときに一気に曲がれないようにしている。 |
一の門
藩主邸からの最初に設けられた第一の門で、櫓門に多門櫓が構えられていた。 |
土岐門
一の門に続く第二の門で、城主遠山氏が、土岐氏を破ってその居城の城門をここに移したという由来による。 |
追手門・三重櫓
土岐門に続く第三の門で、大手門の脇には天守に相当する三重櫓が構えられていた。 |
畳 橋
追手門の前面の空堀には畳橋と呼ばれる木橋が架かっていた。 |
霧ケ井
岩村城には17箇所の井戸があった。なかでも、八幡曲輪にある霞ケ井は城主専用の霊泉で、敵が攻めてきたとき、城内秘蔵の蛇笏をこの井戸に投じるとたちまち霧に覆われて城を守ったと云われている。 |
八幡神社
八幡曲輪の最奥部には遠山氏が尊崇したと言われる八幡神社が造営されていた。 |
菱 櫓
石垣を地形に合わせて積んだため、菱形になり、その上に建てた櫓も菱形に建っている。 |
六段壁
城の特徴である6段の壁。もとは段差のない高石垣でしたが、江戸時代後期に、崩落を防ぐ補強のために下段に石垣を継ぎ足し、犬走りが設けられた。 |
長局埋門
本丸は上下2段の曲輪から成っており、三箇所の門があったが、下段に構えられた門。 |
埋 門
本丸へ入る搦手門。野面積み、打込みハギ、切り込みハギと言った三種類の積み方が見られる。 |
本 丸
天守はなく、納戸櫓など二重櫓が2基、多門櫓2基、門3基設けられていた。 |
昇竜の井戸
本丸南東隅に残っている井戸。現在は枯れている。 |
岩村本通り・城下町(重要伝統的建造物群保存地区)
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藩主邸太鼓櫓
江戸時代、城下に時を知らせるために造られた櫓で、「岩村城絵図」をもとにして平成2年(1990)に藩主邸跡に復元された。 |
佐藤一斎座像と碑文
岩村藩家老の次男として生まれ、儒学を修め、70歳の時、昌平坂学問所の儒官となった。
少(わか)くして学べば、即ち壮にして為す有り。、、、、、。 |
岩村歴史資料館
藩主藩邸跡に建てられた、岩村城や岩村藩関係の資料を展示している歴史資料館。 |
下田歌子勉学所
下田歌子が勉学に励んだとされる場所を復元したもの。岩村藩士を父とする明治の女子教育先駆者。 |
岩村醸造
地元の米と地下天然水を使用した創業200年余年の酒蔵。「女城主」という銘柄で有名。軒に下がる酒林は、造り酒屋のいわば看板。 |
水野薬局
江戸時代からの薬種商で、美濃・飛騨・三河まで手広く薬を卸していた。
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浅見家(市指定文化財)
幕末には三代にわたって大庄屋を務め、資金面などで岩村藩を支えた。 |
木村邸(市指定文化財)
江戸時代中期から末期に栄えた問屋。後に御用達職を兼ね、藩を支え町人町の経営も担っていた。 |
木村邸・ナマコ壁
母屋背後の土蔵と土塀は「ナマコ壁」造りで美しい。 |
木村邸・台所
台所には囲炉裏が設けられている。 |
木村邸・井戸
奥の庭には井戸や蔵が配置され、格式が感じられる。 |
まち並みふれあいの館(観光案内所)
明治41年に旧岩村銀行本店として建てられた土蔵造りの貴重な建物を活用している観光案内所。 |
土佐屋「工芸の舘」(市指定文化財)
江戸時代末期に染物業を営んでいた商家で、平成11年に「工芸の舘土佐屋」としてオープン。 |
勝川家(市指定文化財)
江戸末期に岩村藩の木材や年貢米を取り仕切った豪商。江戸絵や能面の展示、書院や茶室などが見学できる。 |
下町升形
街角を直角に曲げて外敵をふさいだ升形が残されている。下町、新市場、新屋敷の3箇所の入口に設けられていた。 |
松浦軒本舗
江戸時代から変わらぬ製法で造る手作りのカステラ屋。 |
高札場
下町枡形の内部、土塁沿いに建てられていた。 |
加納家鉄砲鍛冶(市指定文化財)
江戸時代から三代続いた鉄砲鍛冶。岩村藩主に召し抱えられていた。 |
内部
槍、鳶口、刀などの武器が残されている。 |
旧柴田家「美術の舘」(市指定文化財)
明治時代の典型的な町屋で「いわむら美術の舘」としてオープン。 |
店内
絵画を中心に展示され、建物とともに見学できる。 |