鹿児島城は慶長7年(1602)、島津家久が標高107mの城山東麓に築いた舘造りの平城。城山の麓に本丸と二の丸(写真は二の丸跡に建つ西郷隆盛銅像)を配し、その周囲を水堀と石垣で囲んだ小規模なもので、天守閣や櫓もなかった。
これは藩内には百余の外城が設置され、その外城が外敵の侵入を防ぐことで、本城を要塞化すことがなかったとされる。県内では「知覧」、「出水麓」、「入来麓」の3地域が外城制の跡として、保存地区に選定されている。
城は元禄9年(1696)に消失、宝永4年(1707)に再建されたが、明治10年(1877)、西南の役で大半を焼失し、現在は石垣や水堀が往時の姿を伝えている。
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