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金沢の三茶屋街

 

 金沢は藩政時代に加賀百万石の城下町として栄えた古都。城を中心として、豊かな町人文化の遊興場所として発展を遂げた粋な茶屋町が今も昔ながらの町並みで受け継がれている。

 金沢には「ひがし茶屋街」「にし茶屋街」「主計町茶屋街」の三つの茶屋街がある。ひがし茶屋街(写真)は藩政時代から格式の高い茶屋街として賑わい、三つの茶屋街の中で最も規模が大きく、往時は約90件ものお茶屋があったと言われる。主計町茶屋街は茶屋町としての公認はなかったものの、浅野川大橋から中の橋までの浅野川左岸沿いに栄えた。にし茶屋街は三つの茶屋街の中では規模は小さいが、町並みは艶やかな雰囲気を醸し出している。

 通常は一見さんお断りのお茶屋ですが、気軽に利用できる店もあり、坪庭を眺めながら抹茶とお菓子で一服、お座敷体験まで気軽に楽しむこともできる。

  ひがし茶屋街(重伝建保存地区)

 ひがし茶屋街は「にし」「主計町」と並ぶ金沢三茶屋街の一つ。加賀藩公認の茶屋町として文政3年(1820)、犀川西側の「にし」とともに開かれた。キムスコ(木虫籠) と呼ばれる美しい出格子がある古い町並みが残り、昔の面影をとどめている。

志 摩(国指定重要文化財)

 文政3年(1820)に創立された格式の高いお茶屋の建物で、いく度か、のれんの変遷は記録されているが、典型的なお茶屋の造りをそのままに残している。お茶屋は二階が客間で、町屋とは異なり押し入れや間仕切り壁などはなく、開放的であくまでも遊芸を主体とした優美で繊細な、粋なしつらいになっている。志摩のパンフより

なかの間

 この部屋は通路や準備の場として使われるところ。

前座敷

 2階にある廣い琵琶床の前座敷。客が床の間を背にして座るとその正面が「控えの間」で、そこが演舞の場所になっている。

はなれ

白木造りで、数寄屋風の落ち着いた造りになっている。

この景色を愛でながら抹茶がいただけます。


懐華楼(市指定保存建造物)

 築約190年の藩政時代の茶屋を修復した間口6間、奥行き12間の建物で、周辺では最大規模の旧茶屋。夜は一見さんお断りですが、昼は一般に公開され内部を見学できる。

旧かみや主屋(市指定文化財)

 ひがし茶屋街の往時の華やかさを今に伝える茶屋建築として、典型的な外観と間取りを良く残し、明治初期の茶屋建築の形式を示す一つの指標となる貴重な建物です。


  主計町(かずえまち)茶屋街(重伝建保存地区)

 浅野川大橋から中の橋までの浅野川左岸、200m足らずの通りに格子の茶屋が並んでいる。町の名は、加賀藩士富田主計(とだかずえ)の邸宅があったことに由来する。

 周辺には池泉回遊式庭園の見事な主計町緑水苑や泉鏡花記念館などがある。


 にし茶屋街

 ひがし茶屋街と同じく1820年に設立された、犀川大橋界隈に開かれた茶屋町です。石畳の通りの両側には、出格子が美しいお茶屋が建ち並んでいる。

華の宿

 通常「一見さんお断り」のお茶屋がほとんどの中で、茶屋様式の建物を見学することができる。

青塗りの「壁の間」。

ベンガラ塗り壁の「別の間」、床の間、付書院がある。

西茶屋資料館

 作家島田清次郎が過ごしたお茶屋「吉米楼」跡地に島田氏に関する資料が展示されている他、お茶屋のお座敷を再現したコーナーがある。