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金沢城めぐり

 

 金沢城は、犀川と浅野川に挟まれた台地の先端に建てられた加賀一向一揆の本拠、金沢御堂を柴田勝家が攻略、その甥、佐久間盛政がその跡地を改修して築いたことに始まり、天正11年(1583)、前田利家が加賀に入封して近世城郭へと改修した。天守は慶長7年(1602)の落雷により、その後も宝暦9年(1759)の大火により金沢城の建物の大半及び三御門が焼失するが、石川門(1788年に再建)、三十間長屋(多門櫓)、三の丸土塀は江戸時代から残り、建物の大半が鉛瓦の屋根と海鼠壁で仕上げられ、加賀百万石の居城に相応しい格調の高さと美しさを見せている。

 城跡の大部分は石川県の所有地になっているが、金谷出丸の跡は、藩祖前田利家公と正室お松の方を祀る尾山神社の境内となり、兼六園の場所にはかつて金沢藩の蓮池御殿とその庭園があったが、宝暦9年(1759)の大火で焼失、その後庭園のみ再建して兼六園の歴史が始まり、今もなお当時の景観や風情を留めている。

 

  金沢城

 

石川門(国指定重要文化財)

 金沢城搦手の正門。宝暦の大火(1759)後、天明8年(1788)に再建された門で、石垣上に、腰に海鼠壁を付けた白壁の塀が美しい。金沢城の城門の中で、特に重要であった「石川門」「河北門」「橋爪門」を「金沢城三御門」と呼んでいる。

石川門石垣

 この石垣は、右と左で積み方が違います。右側は「切り込みハギ」、左側は「打ち込みハギ」の技法となっています。同じ場所で違う積み方をした珍しい例で、明和2年(1765)の改修時のものと考えられています。文化年間に書かれた文書には、「左右違い分けて積むのはおかしい」などと記されており、石垣の積み方にもいろいろなこだわりや思いがあったことがうかがえます。

 創建 慶長(1596?1614)頃 改修 寛永8年(1631)頃、明和2年(1765)、文化2?4年(1805?1807) 現状 主に明和2年頃の姿をとどめる。(案内板より)

河北門

 「河北門」は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門です。金沢城の建物の大半が焼失した宝暦の大火(1759年)の後、安永元年(1772)に再建された。

 

復元中の橋爪門

 「金沢城三御門」のうちで、藩主の住居に通じる最後の門として最も格式の高い門とされている。

 平成13年「一の門」を整備済みで、今回の「二の門」と「枡形土塀」の復元により枡形門が完成する予定。平成27年春の完成を目指して工事中のため、足場で覆われていた。

二の丸

菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(右から)

 菱櫓は橋爪門続櫓とともに周辺を監視するための物見櫓で、石垣からの高さは17m。五十間長屋は橋爪門続櫓と菱櫓を結ぶ2階建ての長屋。武器庫と城壁を兼ねており、石落としや鉄砲狭間を備えている。いずれも明治14年(1881)に消失したが、平成13年に復元された。

本丸

三十間長屋 (国指定重要文化財)

 宝暦の大火で焼失後、安政5年(1858)に再建。幅3間、長さ26.5間余りの2階建て多門櫓で、海鼠壁と鉛瓦で仕上げられている。

大手門(尾坂門)石垣跡

 現在では大手門は残っていないが、城の正面によく用いられた巨石「鏡石」が組み込まれている。


 兼六園(特別名勝)

 江戸時代の代表的な林泉回遊式大名庭園の一つ。延宝4年(1676)、5代藩主綱紀によって作庭されたのが始まり。六つのすぐれた眺め「六勝」を兼ね備えているところから兼六園と名付けられた。

霞ケ池

 天保8年(1837)に掘り拡げられた池で、広さは5800?。 大きな霞が池の周りをめぐるとその六勝が楽しめるように造られている。

雪吊り

 北陸特有の重い雪から樹木の枝折れを防ぐ造園管理技術。冬を代表する風物詩。

根上松

 13代藩主前田斉泰が、稚松を高い盛り土にお手植えし徐々に土を除いて根をあらわしたものと伝えられている。


 尾山神社

 尾山神社は加賀百万石の藩祖・前田利家公を祀る神社として明治6年創建された。境内はもと金谷御殿の跡地で、今も境内東部には神苑として当時の庭園が残されている。

神 門(重要文化財)

 1875年(明治8年)に建築された和漢洋の三様式を混用した異色の門。第一層は戸室石を用い、第三層は四面五色のギヤマン張りで、美しいステンドガラスがはめ込まれている。第三層目に設置された避雷針は日本最古のもの。

拝 殿

拝殿は入母屋造り。旧金谷御殿の格天井と欄間が移築されている。

前田利家公像

境内にある利家公 赤母衣衆隊長の騎乗像。

お松の方之像

前田利家公の正室まつの方の石像。