HOME

うさぎの京屋敷めぐり

京屋敷めぐり

伏見屋敷めぐり

全国の武家屋敷めぐり

京都幕末史跡めぐり

幕末諸藩の状況

幕末京都の世相

名所・旧跡めぐり

遺跡めぐり

甲府城(国宝・日本100名城)
〜躑躅ヶ崎館(国史跡)

 

 甲府城は武田氏時代には一蓮寺という時宗の寺があった所で、武田氏が滅亡した後の豊臣政権下で、関東の徳川氏に対する抑えとして、浅野長政、幸長親子などによって、慶長年間に一条小山と呼ばれる丘の上に築かれた平山城である。慶長5年(1600)関ヶ原合戦後は徳川一門が城主となり、一時は武田旧臣の柳沢吉保が城主となった。この時代に、石垣や殿舎などの大修復がなされ、大きく発展していった。その後は幕府直轄領となり、城代が置かれた。明治時代になると廃城となり、明治10年前後には建物は全て取り壊されるが、その後勧業試験場として利用が始まるなど新たな歴史が始まり、現在は本丸を中心とした内城部分に稲荷櫓(写真右)、鉄門、内松陰門、山手御門などが復元整備され、本丸の東端には巨大な天守台が石垣によって構えられている。

 JR甲府駅北口からバスで10分ほどのところにある躑躅ヶ崎館(同左)は永正16年(1519)信玄の父信虎が石和館(現甲府市川田)より移り、甲斐の府中「甲府」に築いたもので、信虎・信玄・勝頼と武田氏三代の本拠とした。一時は甲斐、信濃、駿河、上野など百万石を越える広大な領国を支配した。その信玄は「甲陽軍艦」に記された「人は石垣、人は城、人は堀・・・」と言う哲学の下、堅固な城は築かなかった。甲斐は周囲を険しい山に囲まれて、全体が城塞だったからだとも云える。この館跡には、当時からの主郭(東曲輪・中曲輪)、西曲輪、北曲輪、堀、土塁、石垣、古井戸などの遺構が残り、往時を偲ぶことが出来る。

 甲府周辺には信玄公ゆかりの深い史跡、古刹をはじめ、明治初期まで甲府城下に時を知らせていた「時の鐘」を再現した昔懐かしい蔵造りの街並みや、美術や文学を楽しめる、ミレーの美術館として親しまれている山梨県立美術館、同じ公園内にある山梨県出身の文学者らの作品を展示している山梨県立文学館など名所、史跡が点在している。甲府盆地はぶどうの産地として知られている。山梨ワインと云えば勝沼が有名だが、甲府周辺にも質の高いワイナリーがあり、見学コースもある。

追記

 甲府城跡が2019年2月26日、国の史跡に指定された。今回の目的地、松本城行きを途中下車し、甲府城に再度足を運んだ。江戸期の遺構は石垣と内堀の一部のみであるが、自然に石を積んだ野面済みの石垣が本丸を中心に良好に残っているのをはじめ、入念な史料収集により石垣の補修や門、櫓のなどの復元、整備が行われており、改めてその魅力を再発見したので、追加掲載した。

 

 

 

 甲府城跡・舞鶴城公園(国史跡)

 

内松陰門

城内に入るルートはいくつもあるが、駅から一番近い入口になる内松陰門を通り、石段を上がって城内に入る。平成11年に復元された切妻造りの本瓦葺きの高麗門。

山手御門

3箇所(北側の山手御門、西側の柳御門、南側の大手御門)あった出入れ口の一つで、平成19年に復元された。木造平屋建て高麗門、切り妻造本瓦葺き。防御を固めるため、非常に厳重な作りとなっている。

天守台

小高い丘に立つ、築城された当時のまま残っている石垣の美しい天守台。天守は無かったというのが定説です。

天守台上南側からの眺望

南アルプスの美しい山々が広がり、空気が澄んでいると富士山が望める。

天守台隅角部

自然石をそのまま積み上げる野面積みと石を削り表面を綺麗に仕上げる打込み接ぎの2種類の石垣が見られる。

本 丸

現在は整備され芝生の広場、正面が天守台です。

本丸櫓跡

本丸北側の櫓台で、明治初年までは残っていたことが古写真で分かっている。

暗 渠

発掘調査により、本丸北側に、雨水を外へ排水する為の施設が見つかっている。

坂下門跡と石垣

鍛治曲輪と天守曲輪を繋ぐ門で、積み方が違う石垣が並んでいる。

銅門跡

本丸西側に位置し、鉄門と対だとされる門で、当時の礎石が残っている。

鉄 門

本丸の南側に位置する2階建ての櫓門として、平成25年に復元された。

中の門跡

鉄門の手前にある門跡。

鍛冶曲輪門

楽屋曲輪と鍛冶曲輪を結ぶ門。切妻造で本瓦葺きの一間一戸薬医門。平成8年に復元された。

数寄屋曲輪

稲荷曲輪・数寄屋曲輪は野面積の石垣が残っている。

数寄屋櫓跡

城内で最も東側に建てられた櫓で、明治初年までは残っていた。

稲荷櫓 展示中の鯱瓦

稲荷櫓は明治初年に破却されたが、発掘調査により城跡から見つかった鯱瓦と絵図をもとに平成16年に復元された。

稲荷曲輪門

城内に鎮守が祀られることが少なくないが、稲荷社の曲輪と云うことで曲輪の名称ともなった。稲荷曲輪と鍛治曲輪をつなぐ門で、平成11年に復元された。

稲荷曲輪の井戸

発掘調査で7基の井戸が見つかっている内の一つ。

水溜場跡

発掘調査で見つかったもので、絵図の中には余り描かれていない水溜。

煙硝蔵跡

火薬庫で、地下構造の特別な防湿構造をもっていたと云う。現在は埋設保存されている。

二重の石垣

石垣の解体調査の結果、古い石垣が発見されている。

庄城稲荷跡

鎌倉時代からこの地を守る庄城稲荷があった。

鍛冶曲輪

かつては、会所・勘定所が建っていたが、現在は自由広場になっている。

石切場跡

鍛冶曲輪広場の北側にある石切場。ここで切り出した石は石垣、石材として使われた。

武徳殿

本丸の西が二の丸で、二の丸跡に、武道場が建てられている。当日も剣道の稽古をしていた。

内 堀

かつては全域が堀で囲まれていたが、唯一残っている南側の内堀。


 躑躅ケ崎舘跡(武田氏舘)(国指定史跡)

躑躅ケ崎舘跡

信玄の父信虎が永正16年(1519)に築いた舘で、武田家の信虎、信玄、勝頼と三代の本拠となった。跡地には当時からの主郭(東曲輪・中曲輪)、西曲輪、北曲輪、堀、土塁、石垣、古井戸などの遺構が今も残っている。

武田神社

舘の主郭部分に建つ、甲斐の名将・武田信玄を祀っている神社。

宝物殿

舘の主郭部分に建つ、武田神社境内にある「宝物殿」。武田二十四将図(甘利、小山田、原、馬場、高坂、板垣、飯富、山県など)、風林火山の孫子の旗、武田家に伝わる鎧や太刀・扇などが展示されている。

大手門

東側にある大手口が舘の正門となっていた。

水 堀

主郭部分の周囲は深い水堀に囲まれていた。山裾に築かれている地理的環境から堀の南半分には水が張られていたが、北側は空堀になっていた。

石 垣

大手口付近に残っている土塁と石垣。 

名水「姫の井戸」

信玄公ご息女誕生の際、産湯に使用されたことから名付けられた名水「姫の井戸」が残っている。

水琴窟

竹筒に耳をつけると琴の音にも似た音色が響いてくる。

太宰治の愛でた桜

太宰治は新婚時代この地で8か月程過ごすが、境内には太宰治が愛でた桜の木が残っている。


武田信玄公の像

甲府駅前にある口ひげを蓄え、右手に軍配、甲には菱形の家紋姿の信玄像。戦国を代表する武将。信玄公ゆかりの史跡、古刹が甲府市内に点在している。

円光院

甲府五山の一つ。信玄の正室三条婦人の墓所。夫人は公家の名門・三条家の娘で16才で甲斐に嫁いだ。

信玄公の墓所(甲府市岩窪町)

天正元年(1573)4月12日、信玄は信州伊那駒場で53才の生涯を閉じる直前、混乱を避けるために3年の間その死を隠すことを遺言、その間この場所に葬られていた。この命日には武田二十四将騎馬行列、4月上旬には信玄公祭りが盛大に繰り広げられる。

護国神社

江戸時代、柳沢吉保の菩提寺である竜華山永慶寺があった場所。この永慶寺の山門が大泉寺の総門として移築されたと伝えられている。

積翠寺

要害山の麓に立地する臨済宗寺院・積翠寺において信玄公が誕生したと伝えられている。

要害山への登山口

山梨百名山の一つで、かつては山頂に武田信玄の父信虎が築いた山城(780m)があり、武田家の遺構が数多く残っている。武田家三代にわたり躑躅ケ?舘の背後の詰城ともなっていた。

時の鐘

甲州夢小路に明治初期まで200年以上住民に時を知らせていた「時の鐘」を再現。

ワイナリー サドヤ

甲府駅から徒歩5分、大正6年創業の老舗ワイナリー。自家栽培ぶどうで醸造したワインを販売。

山梨県立文学館

山梨ゆかりの文学者の芥川龍之介、樋口一葉、飯田蛇笏、太宰治などの原稿、書簡、愛用品などを展示している。

山梨県立美術館

1978年開館以来、「ミレーの美術館」として広く親しまれている。「種をまく人」「落ち葉拾い、夏」など約70点のミレー作品を収蔵。

芸術の森公園

併設された「芸術の森公園」内では、バラ園、日本庭園の他、彫刻や立体作品が展示されている。