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増田の内蔵めぐり

 

 秋田県の南東部に位置する増田町は古くから旧街道が合流する交通の要衝で、江戸期以降、商人町として発展し、明治期には生糸や繭、葉タバコ、酒造などの産業が大いに栄え、大正期には最盛期を迎えた。

 町には、現在も当時の町割りや内蔵が多く残っている。内蔵とは文字通り、冬の豪雪から守るため、「鞘」と呼ばれる上屋で覆った建物内部にある蔵のこと、元来は物資の保管庫であったが、明治以降は座敷蔵が主流となり、贅を尽くした内蔵は、当時の増田商人の心意気を今に伝えるものです。

 増田の町屋の特徴としては、家屋の内部は、正面に店舗を配し、座敷、居間、水屋、内蔵と連なる配置で、南側に「通り」を配して、奥まで往来できるようにした間取りになっている。敷地は、間口が4間(約7.2m)と狭く、奥行き50間(約90m〜100m)と非常に長い短冊状の敷地となっている。また建物ばかりでなく、増田町には街中を2本の川が流れる水の宝庫で、中世以来の用水路が通っている。

 家屋の見学については、それぞれ公開方法が違いますので、「蔵めぐり」のスタートとして増田町の観光物産センター「蔵の駅」(写真)に立ち寄られることをお勧めします。

 

旧石平金物店

建築年代 主屋 明治中期  文庫蔵 明治中期

 明治大正期に金物商などを営んだ石田家より横手市に寄贈され、現在「観光物産センター蔵の駅」として伝統的建造物の公開をはじめとする増田町の観光案内所兼物産販売所として運営されている。

内 蔵(座敷蔵)

 明治中期に築かれたもの。扉は黒の漆喰で塗られ、光沢の出るまで磨き上げられている。

座 敷

 正面の店舗の奥に、床を構えた座敷が配置されている。

帳 場  

 帳場机が置かれ、帳付けをしたり金銭の出納を行っていた。

水 屋

 現在は解体され、土間の状態です。冬場外に出ないよう家の中に井戸を掘っている。井戸は今でも現役です。

 

通 り

 通り土間の上は吹き抜けで、梁をあらわにしている。「通り」により、店から帳場、客間、居間、蔵の奥まで往来できるようにした間取りになっている。


佐藤養助漆蔵資料館(旧小泉五兵衛家) 

 (国登録有形文化財) 

 建築年代 座敷蔵 大正10年  旧米蔵 大正後期

 増田の大地主であった小泉五兵衛の旧宅です。小泉家は材木や味噌・醤油を商っていた。江戸時代より8代続き、戊辰戦争においては350両という増田一の御用金を納めている。現在は稲庭うどん店に併設する資料館として利用されている。

内 蔵

 観音開きの土蔵で、蛇腹は四段左右対称となっている。

資料展示室

 趣のある蔵を活かした展示室。


旧佐々虎呉服店(国登録有形文化財) 

 藩政時代より生糸・煙草を扱い、明治20年から昭和18年まで呉服店を営む。

旧石田理吉家(市指定有形文化財) 

 建築年代 主屋 昭和12年  座敷蔵 明治14年

 旧石田理吉家は、文政2(1819)年に石田久兵衛家より分家し、戦前まで酒造業(銘柄 金星)を営んでいた。県内でも珍しい木造三階建住宅です。

佐藤こんぶ店 

 建築年代 文庫蔵 大正後期

 佐藤こんぶ店は大正期から昆布販売業を営んでいるが、現在の場所で営業を始めたのは戦後のことになる。当家の蔵は、構造、使用の状況からみて、居住空間としてではなく物資の収蔵を目的として作られたものと思われる。内蔵が多く残る増田でもこのような内蔵の類例は無く、建造の経緯について、今後の調査が期待される。

興文館東海林書店(国登録有形文化財)  

 建築年代 主屋  大正期 座敷蔵  明治2年

 戦国時代増田城主・土肥家の家老を勤めていた旧家です。秋田藩主佐竹氏のお宿となったことを示す木札が残っている。明治18年に書店を開業し、現在に至っている。増田地区には数少ない入母屋造り平入りの建物です。

山中吉助商店(国登録有形文化財)  

 建築年代 主屋 明治中期  旧座敷蔵 明治19年

 店舗は昭和29年に改修され建築当初の姿を変えてしまっているが、居住部の小屋組が洋小屋組(トラス)、続く座敷と水屋そして蔵前は天井を張らない吹き抜けとなり、貫工法による和小屋組となっていることから、座敷から蔵前までは明治中期頃に建築された当初(またはその後大正から昭和にかけて)居住部が改修され現在に至っているものと思われる。

山吉肥料店

 建築年代 主屋 明治中期  座敷蔵 昭和前期

 増田の商家建築の特徴である家屋配置を良く残し、南側に配置された「とおり」が店舗より裏門まで一直線に伸びている。また、室内は明治大正期の建物に多用され、増田地域の特徴でもある一階の天井が高い造りで、北側となる座敷への採光が取れるように工夫された構造となっている。


佐藤又六家(国登録有形文化財)

 建築年代 主屋 明治前期  文庫蔵 明治前期

 江戸時代から続く旧家。増田銀行の設立発起人の一人。現当主(12代)はカメラ店経営。増田特有の細長い敷地に縦長に家屋を配置した姿を現在に伝えており、増田地区最古の店(見世)蔵が現在も現役で使用されている。最大の特徴は、主屋の中にその店蔵が組み込まれているところにある。

内 蔵

 店舗と住居を兼ねており、店舗の奥に入ると、生活空間になる。

横 座

  当主が利用していた部屋。

仏 間

 神棚や仏壇が置かれている。

文庫蔵

 白漆喰の扉の珍しい文庫蔵。

文庫蔵(内部)

 床面は板の間で、日用品や什器などを収納している。


旧村田薬局

 建築年代 店蔵  明治後期〜大正期

 江戸時代中頃から平成まで続いた増田で最古の薬舗です。切妻造り平入りの店蔵は増田地区には2軒あるが、これはそのうちの1軒です。屋根は昭和30年代まで瓦葺だったことが古写真で確認されている。

松浦千代松家(市指定有形文化財)

 蔵の創建者・松浦千代松は、煙草商人として太成功を収めたが、たばこ産業が官営となったために、電気事業を発案し増田水力電気(株)を創立。戦時中まで平鹿・雄勝・仙北地方に送電、増田の名声を大いに高めた。

旧佐藤三十郎商店(国登録有形文化財)

 建築年代 主屋 明治20年  座敷蔵 明治11年

 江戸後期までは「増の井」の醸造元であった石田久左衛門がこの地で醸造を行っていたが、秋田に転居したのち初代佐藤三十郎が居住し、この地で五十集商(魚の仲買)をはじめたと伝えられる。

高橋茶舗(国登録有形文化財)

 建築年代 旧座敷蔵  大正9年

 米穀商を営んでいた五十嵐養吉家が建立したことから「五養」の蔵と言われた。戦後になり高橋茶舗の所有となる。土蔵は側面の壁まで黒漆喰で仕上げられている。

石直商店

 建築年代 主屋 明治前期

 増田地域特有の間口が狭く奥行きが長大な短冊型で、他家と同様に店舗・座敷・住居・水屋・内蔵等が配置されていたが、内蔵は解体され、店舗と座敷及び居住部が現在も使用されている。

日の丸醸造(国登録有形文化財)

 建築年代 主屋 明治時代  文庫蔵 明治41年

 現在、増田の唯一の醸造元です。主力ブランドは「まんさくの花」。蔵元でも酒の販売をしており、蔵元だけで販売されている限定酒は見学者に好評となっている。

 文庫蔵は、増田の数多い内蔵の中において、その意匠や豪華で繊細な装飾がひと際際立った内蔵となっている。

横手市HP、増田の蔵より

下タ堰(下関)

 下タ堰は、真人山南麓の成瀬川より取水し、関ノ口地区を経て町の中心部を流れ、十文字町方面に向う用水堰である。

 この堰は、流域住民の生活用排水や防火用水、農業用水としても活用され、増田の人びとに恵みを与え絶え間なく流れている。