HOME

うさぎの京屋敷めぐり

京屋敷めぐり

伏見屋敷めぐり

全国の武家屋敷めぐり

京都幕末史跡めぐり

幕末諸藩の状況

幕末京都の世相

名所・旧跡めぐり

遺跡めぐり

ならまちの町家

 

 

 元興寺(写真右は東門)の旧境内地を中心とした地域が奈良町と呼ばれ、この一帯に江戸末期から明治時代にかけての伝統的な町家が今も当時の名残を留めている。

 猿沢池の南側、碁盤の目状の小路に沿って、白壁に黒い瓦屋根、ならまち格子、間口が狭く奥行きが深い中二階の町家が軒を連ね、奈良晒を使った蚊帳、奈良団扇、奈良扇子、奈良墨や奈良筆などを製造販売する店や工房が点在している。

 古い町並みの家々の軒先には、(同左は奈良町資料館)「庚申信仰」に基づく魔除けのお守りとして、身代わり申が吊るされている。

 奈良の伝統産業には、古い文化と関連して発達したものが多いが、今回の町家めぐりでは、見て回るだけでも楽しいが、幸いにも老舗店の皆さんから丁寧に説明をいただくことが出来たので、その中の一つ、奈良晒の生地の歴史について触れてみたい。

 古来奈良では、寺のさまざまな儀式に使う薄い織物を作ってきた。その技術を応用して、江戸時代には蚊帳を盛んに生産するようになった。明治に機械が導入されると一層発展し、大正10年には全国の蚊帳生産の頂点に達した。

 蚊帳生地は東大寺でも大活躍し、毎年8月に行われるお身拭い、年に一度大仏様を掃き清めるのに蚊帳生地が使われたと云われている。

 かつて多くの家庭で使われた蚊帳は昭和40年代になると、生活様式の変化によって需要が激減するようになるが、そんな中、蚊帳の粗目織物を生かしたのが「ふきん」で、多くの会社で製品化され、年間200万枚の奈良のふきんが全国に出荷されるようになった。

 余談ながら、訪れた2014年2月19日、猿沢池では、外来種のカメなどの捕獲を目的に、18年ぶりとなる池の水を抜く「かいぼり」が行われていたので、めったに見られない光景を写真に残している。(同下)

 

   

一口メモ

 710年 なんときれいな平城京(奈良)に遷都。 710〜784年間の都

  • 708年 和同開珎を鋳造。しかし当時はまだ物々交換が盛んで、稲や布が貨幣のように通用していた
  • 平城京は唐の都、長安城を手本として建設
  • その広さは5km四方、約25K?。なお長安は10km四方
  • 平城京の人口は5万人〜10万人位、その内貴族・上級官人120人(一にぎりの人)、中級官人600人、下級官人6000人 。 奈良時代の全国の人口は400万人前後
  • 平城京遷都に併せて、興福寺(710)、元興寺(718)、薬師寺(718)を奈良に移転
  • 律令制を採用し、全国を「五畿七道」に分け、全国統一を果たす
  • 名産品・土産物には 仏教文化から興った墨。筆。社寺の什器に始まる漆器。春日の社人がつくり始めたといわれる奈良団扇。春日若宮の祭礼の飾り物に始まる一刀彫。奈良晒に始まる蚊帳の生産。奈良漬けなど
  • 町家は道路に面して店を構えているので、間口が狭く奥行きの深い間取りになっている。従って、各部屋は縦長となり、入り口から表の店、中の間、座敷、中庭、土蔵と並ぶ構造が多い。

 

 

 

元興寺(極楽坊)(国宝)

 596年、蘇我馬子によって飛鳥に建立された法興寺(飛鳥寺)が平城京遷都に伴って移され、寺号を元興寺に改めた。かつては奈良町全体を境内とする広大な寺院だったが、現代は極楽坊本堂と禅室を残すのみとなった。

 

  三条通り(東西に走る)

奈良漬 今西本店

 江戸時代末期から伝統の技法を守り続ける「純正奈良漬」の製造元。奈良の地酒の糟でウリやキュウリを漬け込んだもので、奈良漬けは徳川家康にも献じられてたといわれている。

  池田含香堂

 創業150年、奈良の伝統工芸品である奈良団扇・奈良扇子の市内唯一の専門店。天平模様や百人一首・鹿・七宝つなぎ模様の団扇、奈良絵をあしらった扇子など、清風の薫りが感じられる品揃えです。

ぜいたく豆本舗

 明治初期から続く豆菓子の老舗。豆菓子だけで数十種取り揃えている。


  東向通り・小西さくら通り沿い (南北にのびる)

古梅園

 天正5年(1577)創業の老舗製墨業。紅花を使った墨など、100種類以上の様々な製品が揃っている。

 店主からは、墨の色は黒色だけでなく、微妙な違いがあるそうで、赤系の油煙墨(菜種油や胡麻油)は春の温かさを感じさせ、冬の冷たい空気を表わすときは青系の松煙墨(松)を選ぶなど、昔ながらの製法が今も大切に受け継がれているなどの話を伺った。お礼を兼ねてHPに掲載させていただいた。

松寿堂

 築300年の奈良墨の老舗店。一般練習用から専門家用まで幅広く取り扱っている。

森家住宅(市指定文化財)

 この住宅は、南隣に所在する細川家の隠居所として建てられたと伝えられ、明治20年頃の建築とみられます。居室は壁を青竹色の色土で仕上げ、ミセノマを茶室風に造るなど、随所に数寄屋趣味が見られます。背面の屋根は、一部を入母屋造りとしています。このように、隠居所にふさわしく意匠に気を配った建物で、旧本宅と一体で残り、景観上も重要です。平成22年竣工の半解体修理により、丸太格子が復元されるなど、ほぼ建築当初の姿がよみがえりました。(奈良市教育委員会)

細川家住宅(県指定有形文化財)

 細川家は、江戸時代から昭和35年頃まで、和ろうそくを製造していました。この住宅は、文化・文政年間(1804−30)の祈祷札があることから、19世紀初期の建築とみられます。表構えは、出入口を揚戸、その両脇の上半を蔀戸、下半を揚げ見せ(ぱったり床几)とし、北側の落棟部には、太格子を入れています。全般に保存は良好で、建具まで残るのは珍しく、座敷周りの意匠も優れています。奈良の町家の典型として重要です。( 奈良市教育委員会)


  もちいどの通り・下御門通り沿い(南北にのびる)

藤田芸香亭

 昭和初期の建物で、和紙・和紙製品の店。和紙を使った張り子の豆はとなどを取り扱っている。

江戸川・酒房 蔵乃間

 明治初期建築の呉服商家を改装、現在は国産鰻、大和肉鶏料理などの店。

からくりおもちゃ館

旧松矢家住宅を活用したもので、からくりおもちゃは奈良大学名誉教授鎌田道隆氏より寄贈を受けたもの。

 スタッフの方から説明を聞きながら、江戸時代からの「からくりおもちゃ」を実際に手に触れ童心にかえり楽める。


  上街道(上ツ道)・小路沿い

古代、奈良と飛鳥を結んだ上ツ道へとつながる街道

吉田蚊帳

 大正10年(1921)の創業、奈良晒(麻の織物)を使った蚊帳生地を製造・販売する老舗店。

 「店主からは、奈良の蚊帳生地にアレンジを加えて、のれん、ふきん、テーブルマットなど新製品を開発し、体にやさしい蚊帳の魅力をPRして、もっと多く方にも広めていきたいとのことでした。」

奈良筆 田中

 奈良は筆の発祥の地。奈良筆職人、伝統工芸士田中千代美氏が制作販売する店。「游悠工房」で筆造りの最終工程が体験できる。

 「奈良筆の老舗「あかしや」さんの話によると、良い筆のポイントは毛先が弾力性に優れていること、写経用の筆は穂先だけで細い字を書くため、硬いウサギの毛を、書道用の筆は腰のある馬の毛に山羊といたちの毛をブレンドしたものを使うなど、毛の特徴を考えて筆を作っているようです。」

菊岡漢方薬局 

元歴元年(1184)の創業の漢方専門薬局。民芸品も色々揃えている。

奈良町豆腐庵 こんどう 

 築180年の町家で、国産大豆、天然にがりにこだわった豆腐料理店・豆腐販売。

砂糖傳 増尾商店

 安政元年の創業。御門米飴、こだわりの砂糖(和三盆、黒飴など)を取り扱う老舗砂糖店。


ならまち格子の家

 跳ね上げ式の大戸や明り取りの窓、通り庭の横に,みせの間、中の間、奥の間の3室が並び、その奥に中庭、離れ、蔵が設けられ、江戸末期の町家が忠実に再現されている。

みせの間

なかの間と

 奥の箱階段

奥の間

中 庭

離 れ

通り庭と

 かまど


藤岡家住宅(重要文化財)

 18世紀後半頃の町家です。当初は生糸類、幕末頃からはろうそく・鬢付油(整髪料)・おはぐろなどの小間物類、昭和になって紙類と、昭和30年代まで商いが行われ、栄えました。( 奈良市教育委員会)

今西家書院(重要文化財)

 室町時代の様式をよく伝える書院造りの建物です。もとは大乗院の坊官である福智院氏の居宅であったが、大正時代に今西家の所有となった。

清酒 春鹿

 奈良の地酒として人気の醸造元。神酒造りの為に春日大社に出仕していた今西家が明治17年(1884)に清酒「春鹿」の製造販売を始めた。「店内に入り、人気の大吟醸の酒粕アイス最中で一服」