小浜城(県指定史跡)
雲浜古城図
境内入口にある「小浜城 ごあんない」説明板。当時の縄張図が載っており、城下町時代の町割りを見ることができる。
城地総面積は62.492平方メートル、本丸面積10.347平方メートル、天守閣上層(3間×4間)、中層(5間×6間)下層(7間×8間)、総高29メートル、石垣の高さ11メートル、石垣の根廻り18メートルと20メートル。
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天守台への登り口
明治4年(1871)12月、二の丸櫓から出火し、旧城大部分を焼失して城郭の石垣を残すのみとなっている。 |
天守台の上
礎石と思われる石材が見られる。 |
小天守
天守閣は複合連結式で、天守台の北側に小天守がある。 |
西櫓跡石垣
本丸西側に西櫓が見える。 |
重要伝統的建造物群保存地区
小浜西組
三丁町 町並み
かつてお茶屋さんのあった柳町・猟師町・寺町の総称。千本格子の町並に、三味線の音が流れるお茶屋街。 |
八幡神社
旧市街の氏神を祀る神社。毎年9月中旬には若狭最大の秋祭り「放生祭」が300年以上続いている。4種類の演し物と御神輿が町中を巡り賑わう。 |
常高寺
江戸初期の若狭の国主、京極高次の妻お初の方(後の常高院)が建立。狩野派の襖絵や尾崎放哉の句碑がある。 |
高成寺
室町期に足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つ。焼失後、若狭守護の大高重成が再建。 |
武田氏屋敷跡
戦国時代に若狭守護武田元光により後瀬山に山城が作られ、麓には大きな屋敷が作られた。 |
町並みと食の館「酔月」
明治初期に建てられた元料亭「酔月」を改修したもの。伝統的な建物の中で飲食ができる。 |
明通寺本堂
大同元年(806)坂上田村麻呂公が創建したと伝えられ、鎌倉時代建立の本堂と総高約22mの三重塔はいずれも国宝です。また、木造薬師如来坐像や木造深沙大将立像、木造降三世明王立像、木造不動明王立像など、平安後期の仏像4体が重文となっている。 |
明通寺三重塔
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神宮寺
毎年3月2日に行われる奈良・東大寺二月堂への「お水送り」神事が有名な古刹です。室町時代建立の本堂(重文)は神体山を借景に、若狭隋一と云われる華麗な姿。さらに、力強い金剛力士像を安置した鎌倉時代末期建立の仁王門(重文)などがある。 |
羽賀寺
霊亀2年(716)鳳凰が舞い降りた吉祥を慶び、元正天皇の命により、行基が開山。朝廷の勅願時として、盛時には寺坊18坊を数える。現存する本堂は、文安4年(1447)、奥州十三湊(青森県)日ノ本将軍安倍(安藤)康季により再建され、今日に至る。鳳凰伝説や天狗伝説の残る寺。 |
川崎台場跡
幕末になると日本海沿岸にもロシア船が出没するようになり、小浜藩でも海防の必要が叫ばれるようになった。安政元年(1854)小浜藩は重田卯右衛門に命じて五ヶ所に台場を造営した。明治になって台場は廃止され、跡地は現在公園になっている。 |
船だまり
小浜市一番町の船溜まりと停泊中の漁船。小浜沖は昔から美味なる鯖の漁場として知られる。 |
若狭小浜お魚センター
セリに参加できる仲買人が営業しているので、新鮮で豊富な種類の魚が安く購入できる。 |
杉田玄白像
小浜藩出身の医師。 オランダ医学書『ターヘル・アナトミア』を和訳し『解体新書』を完成させた。「蘭学の祖」と呼ばれた。 |
梅田雲浜像
小浜藩出身の儒学者。幕末「安政の大獄」に倒れた尊王の志士。 |
丹後街道
越前国敦賀津から若狭国を横断して丹後国田辺、宮津への街道。 |
マーメイドテラス
八百比丘尼の伝説に因み、長寿を願う人魚の像が建つテラス。海に沈む美しい夕日が見れる絶好の写真スポット。 |