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若狭小浜城下町

 小浜市内を流れる北川と南川に挟まれた合流地点に築かれた「海の見える城」小浜城。京極氏2代にわたり普請され、代わって酒井忠勝が武州川越から入国し、天守閣は寛永13年(1636)完成しました。往時には三重の天守が建てられていたが、明治4年(1871)12月二の丸櫓から出火し、旧城大部分を焼失、明治6年(1873)の廃城令を受けて、明治7年(1874)に解体されました。現在では、本丸の北半分の石垣を残すのみとなったが、本丸跡は小浜藩祖酒井忠勝を祀る小浜神社(写真上左)の境内地になっており、往時の姿を今に伝えています。

 小浜城を中心に、南側の現在の大手橋を渡った地域は、上級家臣の武家屋敷町が置かれていました。今では城下町特有の町並みはほとんど見当たらないが、かつての武家屋敷町の西にある三丁町には、べんがら格子や出格子の家並みが残っています。

 郊外には国宝の三重塔のある明通寺(同上右)、奈良東大寺の二月堂への「お水送り」神事が有名な神宮寺、行基の創建と伝えられる羽賀寺、京の都から祇園祭の流れをくむ例祭「放生会」の八幡神社(同下)など多くの史跡が残り、また都風の祭や行事が若狭各地に伝わっています。

 若狭からは多数の道が京都・奈良・丹波などに通じています。古代より朝廷へ食材を納めていた「御食国」、鯖などの若狭の海産物や特産物を運んだ「鯖街道」で知られています。

小浜城(県指定史跡)

雲浜古城図

 境内入口にある「小浜城 ごあんない」説明板。当時の縄張図が載っており、城下町時代の町割りを見ることができる。

 城地総面積は62.492平方メートル、本丸面積10.347平方メートル、天守閣上層(3間×4間)、中層(5間×6間)下層(7間×8間)、総高29メートル、石垣の高さ11メートル、石垣の根廻り18メートルと20メートル。

天守台への登り口 

 明治4年(1871)12月、二の丸櫓から出火し、旧城大部分を焼失して城郭の石垣を残すのみとなっている。

天守台の上

礎石と思われる石材が見られる。

小天守 

 天守閣は複合連結式で、天守台の北側に小天守がある。

西櫓跡石垣

本丸西側に西櫓が見える。


重要伝統的建造物群保存地区

小浜西組

三丁町 町並み

 かつてお茶屋さんのあった柳町・猟師町・寺町の総称。千本格子の町並に、三味線の音が流れるお茶屋街。

八幡神社

 旧市街の氏神を祀る神社。毎年9月中旬には若狭最大の秋祭り「放生祭」が300年以上続いている。4種類の演し物と御神輿が町中を巡り賑わう。

常高寺

 江戸初期の若狭の国主、京極高次の妻お初の方(後の常高院)が建立。狩野派の襖絵や尾崎放哉の句碑がある。

高成寺

 室町期に足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つ。焼失後、若狭守護の大高重成が再建。

武田氏屋敷跡

 戦国時代に若狭守護武田元光により後瀬山に山城が作られ、麓には大きな屋敷が作られた。

町並みと食の館「酔月」

 明治初期に建てられた元料亭「酔月」を改修したもの。伝統的な建物の中で飲食ができる。

明通寺本堂

 大同元年(806)坂上田村麻呂公が創建したと伝えられ、鎌倉時代建立の本堂と総高約22mの三重塔はいずれも国宝です。また、木造薬師如来坐像や木造深沙大将立像、木造降三世明王立像、木造不動明王立像など、平安後期の仏像4体が重文となっている。

明通寺三重塔

神宮寺

 毎年3月2日に行われる奈良・東大寺二月堂への「お水送り」神事が有名な古刹です。室町時代建立の本堂(重文)は神体山を借景に、若狭隋一と云われる華麗な姿。さらに、力強い金剛力士像を安置した鎌倉時代末期建立の仁王門(重文)などがある。

羽賀寺

 霊亀2年(716)鳳凰が舞い降りた吉祥を慶び、元正天皇の命により、行基が開山。朝廷の勅願時として、盛時には寺坊18坊を数える。現存する本堂は、文安4年(1447)、奥州十三湊(青森県)日ノ本将軍安倍(安藤)康季により再建され、今日に至る。鳳凰伝説や天狗伝説の残る寺。

川崎台場跡

 幕末になると日本海沿岸にもロシア船が出没するようになり、小浜藩でも海防の必要が叫ばれるようになった。安政元年(1854)小浜藩は重田卯右衛門に命じて五ヶ所に台場を造営した。明治になって台場は廃止され、跡地は現在公園になっている。

船だまり

 小浜市一番町の船溜まりと停泊中の漁船。小浜沖は昔から美味なる鯖の漁場として知られる。

若狭小浜お魚センター

 セリに参加できる仲買人が営業しているので、新鮮で豊富な種類の魚が安く購入できる。

杉田玄白像

 小浜藩出身の医師。 オランダ医学書『ターヘル・アナトミア』を和訳し『解体新書』を完成させた。「蘭学の祖」と呼ばれた。

梅田雲浜像

 小浜藩出身の儒学者。幕末「安政の大獄」に倒れた尊王の志士。

丹後街道

 越前国敦賀津から若狭国を横断して丹後国田辺、宮津への街道。

マーメイドテラス

 八百比丘尼の伝説に因み、長寿を願う人魚の像が建つテラス。海に沈む美しい夕日が見れる絶好の写真スポット。