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 山形県の日本海に面した庄内地方を代表する、鶴岡と酒田。江戸時代には徳川四天王の筆頭、酒井家を藩主とした14万石の庄内藩の城下町として栄えた?岡。その核となる鶴ヶ岡城は元は地元の有力な豪族武藤氏が造った大宝寺城で、上杉氏から最上氏へと争奪の場となったが、最上氏の改易となり、代わって酒井忠勝が入城し、鶴ケ岡城と改め以後酒井氏12代の居城となった。堀に囲まれた鶴岡公園(鶴ヶ岡城跡)(写真左)の周辺には、藩校致道館や風間家、ドラマの「蝉しぐれ」のロケ地にもなった「内川」の畔などは、今も城下町の面影を色濃く残している。

 鶴岡と対照的な酒田は、北前船発祥の地で、西の堺、東の酒田と云われるほどに賑わった。因みに一航海に千両、今の価値で4億円儲けたと云われる北前船(全長30メートル、重量150トン)の拠点として、江戸時代には諸国から年間2,500〜3,000艘の船で賑わった港町です。又内陸地から酒田港まで米を満載にした小鵜飼船(山居倉庫の一角に保存(同右))が次々とやってきて、辺りは活気に満ち、賑わったと云われている。

 当地は松尾芭蕉の舞台にもなっている。古くから修験者の聖地である出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)の巡業を終えて、芭蕉一行は城下町の鶴岡に入り、連句を一巻作った後、船で酒田に下り、ここでも数句を詠んでいる。

 

 

 

  鶴岡の街

内川の畔

 内川の対岸には川舟で運ばれてきた荷の積み降ろしをする河戸が明治の末頃には見えたという。藤沢周平作品に登場する五間川はこの内川。

鶴岡公園・本丸御殿跡

 東北地方に典型的な土の城、現在は城跡が公園となっているが、土塁と水堀が残っている。樹齢数百年の老杉などの名所として知られている。

荘内神社

 明治10年(1877)、旧藩主酒井家を慕う庄内一円の人々によって鶴ヶ岡城旧本丸跡に創建された。

藤沢周平記念館

 鶴岡公園内に建っている、鶴岡市出身の作家藤沢周平(1927〜97年)の直筆原稿や創作資料、愛用品などが展示されている。?岡(庄内)藩をモデルとした「蝉しぐれ」は代表作の一つ。


藩校致道館 (国指定重要文化財)

 庄内藩の士風の刷新と優れた人材の育成を目的に、文化2年(1805)に酒井家九代目藩主・忠徳公によって建てられた学問所。東北地方では唯一現存する藩校建築物です。現在は、表御門、聖廟、講堂、御入間などが残っている。

表御門

 藩主が御成りの際に使われた門。

講堂の内部と扁額

 致道館の名称は論語の一節「君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス」から名付けられた。

講 堂

 広間型講堂で、生徒が一堂に会して講義を受けたところ。当時、幕府は朱子学を正学とし、各藩でもこれに随っていたが、致道館では朱子学でなく徂徠学を教学とし、自主性を重んじた教育方針であったという。

聖 廟

 学校の中枢であり、教育の源と考えられ、孔子と願淵の聖画を祀るところです。

御入間

 藩主臨校の際の御居間で、藩主聴講の場です。

東構内と礎石の庭

 建物は残っていないが、昭和58年に発掘調査が行われ、各礎石に養老堂、朝句読、職員用の部屋など当時の部屋の位置や広さを平面的に表している。


旧風間家住宅 「丙申堂」 (国指定重要文化財) 

 庄内藩の御用商人で、鶴岡一の豪商となった風間家の住宅。明治29年丙申の年に建てられました。薬医門(約200年前の武家門)のある商家として当時の繁栄ぶりをよく残しています。約4万個の石が置かれた石置屋根が特徴で主屋を中心に4つの蔵や広大な板の間と大黒柱など、豪商の往時の面影を今に伝える貴重な歴史遺産として国指定重要文化財にも指定され、注目を集めている。

お座敷

 床の間には聖徳太子十七条憲法の書、中の間に「知恩報徳」の額が掲げられている。

小座敷

 映画「蝉しぐれ」での文四郎とおふくが再会するクライマックスシーンが撮影された部屋。

小蔵(金庫蔵)

 土蔵に中に明治期特注の金庫がある。明治期には貸金業に転じ、現在も風間銀行から荘内銀行として発展している。金庫のダイヤルは「数字」でなく「イロハ」になっている。

台 所

 土間ではなく、板張りの台所となっている。

石置屋根

 2階から見る杉皮ぶきに無数の小石を乗せた「石置屋根」が珍しい。

 昔の商家は茅葺きや藁葺、少し上級クラスで杉などの材の皮を葺く屋根が一般的で瓦はご法度。


風間家旧別邸「無量光苑」 釈迦堂 (国登録有形文化財)

 明治43年(1910)、丙申堂の別邸として建てられた良質の杉材を使った数寄屋風の建物。主に来客の接待などに使われていた。

 


 

  酒田の街

山居倉庫とケヤキ並木

 明治26年(1893)、建造された米の保管倉庫で、現在も農業倉庫として活躍している。土蔵造りの12棟からなる倉庫の屋根は二重構造で、内部の土間はにがりを練り固めるなどした湿気防止構造になっている。

 背後を囲むケヤキ並木は日よけ、風よけの役目を果たし、自然を利用した低温管理が行われている。又、NHKの連続テレビ小説「おしん」のロケ地としても知られている。

酒田町奉行所跡

 元和8年(1622)、酒井家が庄内に入部し、酒田町代官(のち酒田町奉行に改称)が置かれ、酒田町奉行所は、町奉行が執務および居住した。

本間家旧本邸 (県指定有形文化財)

 本間家旧本邸は、本間家三代光丘が、幕府の巡見使一行を迎えるための本陣宿として明和5年(1768)に新築し庄内藩主酒井家に献上した、二千石格式の長屋門構えの武家屋敷です。 巡見使一行が江戸に戻ると屋敷を酒井家から拝領し、商家造りの方で昭和二十年の春まで住んでいた。桟瓦葺平屋書院造りで、武家屋敷と商家造りが一体となっている建築様式は、全国的にも珍しいものです。

 樹齢400年を超える伏龍の赤松、本間家では門かぶりの松とも呼んである。内部は撮影禁止。

旧鐙屋(国史跡指定)

 酒田を代表する廻船問屋で、江戸時代を通じて繁栄し、日本海海運に大きな役割を果たした姿を今に伝えている。屋敷は「石置杉皮葺屋根」の典型的な町家造りとなっており、内部は通り庭(土間)に面して、十間余りの座敷、板の間が並んでいる。昭和59年に国の史跡指定を受けた。

相馬楼(国登録文化財建造物)

 江戸時代から酒田を代表する料亭「相馬屋」を修復し、新しい観光スポットとして平成12年3月に開樓した。建物は平成8年11月国の登録文化財建造物に指定された。