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 加賀藩二代藩主前田利長によって城が構えられて以来、城下町として栄えた高岡市には、国宝の瑞龍寺や高岡大仏を始め、土蔵造りの町並み「山町筋」と千本格子の家並み「金屋町」の二つの古い町並みなどの歴史的遺産が数多く残っている。

 高岡駅から徒歩10分の、高岡城は慶長14年(1609)、火災に遭った富山城の代わりに前田利長により、土塁によって築かれたもので、縄張りは高山右近と伝えられている。元和元年(1615)の一国一城令によって、わずか数年で廃城となったが、唯一二の丸と本丸を結ぶ土橋の両側面に色々な文字や模様の刻印のある石垣と全体の1/3を占める水濠が残り、現在も高岡古城公園として、昔の姿を伝えている。

 廃城後は、城下町は急速にさびれるが、3代利常による商工振興策により商都として発展を遂げ、町の中心部にある山町筋には、明治後期の大火後に建てられた北前船による交易で財を成した菅野家住宅を初め、土蔵造りの旧家が42棟、大正時代に建てられた赤レンガ造りの富山銀行本店などが建ち並んでいる。

 山町筋に隣接する金屋町は高岡銅器や高岡漆器などの鋳物の町として栄え、趣のある千本格子の家々が軒を連ね、今も石畳が続く美しい町並みが残っており、金屋町(写真)と山町筋は、高岡を代表する町並みで、どちらも重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 

  高岡古城公園(高岡城跡/県指定史跡)

 本丸、二の丸、三の丸、小竹薮、明丸、鍛冶丸の主要部分が高岡古城公園となっている。天守や櫓などが建てられていたかどうかは定かではない。

堀と石垣

 約21万?(約7万坪)の城跡は、全体の1/3が水濠で占められ、堀や石垣は築城当時のままで残っている。

高山右近銅像

 本城の縄張りを行ったとされる高山右近の銅像が建っている。当時加賀藩に身を寄せていたキリシタン大名で築城の名手。


  瑞龍寺 (国宝指定)

山 門

 加賀前田家2代当主で高岡の開祖前田利長公の菩提寺。曹洞宗の名刹。3代前田利常公の建立で、周囲に回廊をめぐらして諸堂を結ぶ禅宗の伽藍配置様式が特徴。山門、仏殿、法堂が県内で唯一国宝に指定されている。

 正保2年(1645)に建立され、万治年間に場所を変えて立て直す。延亨3年(1746)火災で焼失、現在の建物は文政3年(1820)に竣工した。

仏 殿

万治2年(1659)建立。入母屋造り、本瓦形鉛葺きの屋根は総重量47トン。

法 堂 

 明暦年間(1655〜1658)竣工。方丈建築の中に書院建築の要素も見られる。

法 堂 内陣

 中央奥の内陣には2代藩主前田利長の御位牌が安置されている。

回 廊

 七堂伽藍を繋ぎ、約300mの円相を描く回廊。

石 廟

 前田利長、利家、織田信長、同室正覚院、織田信忠の分骨廟。石廟の中には、宝篋院塔が祀られている。


前田利長墓所(国指定史跡)

 加賀前田家2代当主前田利長公の.墓。大名個人のものとしては全国一という高さが11m余りの堂々たるものです。

前田利長公之像と八丁道

 瑞龍寺と前田利長公墓所を結んでいる参道で、その長さが約八丁(870m)あるところから八丁道と呼ばれている。

高岡大仏(市指定文化財)

  高岡大仏は奈良、鎌倉と並ぶ日本三大仏で、伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて1933年(昭和8年)に青銅大仏として完成。総高 15.85m、重量65トン 。

 山町筋(土蔵造りの町並み)(重要伝統的建造物群保存地区)

土蔵造りの町資料館(旧室崎家住宅)(市指定文化財)

 綿糸や綿布の卸商を営んでいた商家。現当主の転居に伴い、資料館として整備し、一般に公開している。2階窓に観音開きの土扉が付いていることを除けば、高岡の土蔵造りの特徴をすべて備える大規模かつ上質な町家です。また、山町筋の町屋では珍しく前庭がある。

座 敷

 壁は朱壁とし、柱や長押に銘木を使用して木割を細かくして仕上げている。

菅野家住宅(重要文化財)

 山町筋にある菅野家(すがのけ)は、代々「伝右衛門」を襲名した高岡の代表的な商家です。江戸時代末期から明治にかけて廻船の興隆に伴い財産を築いた。
明治22年(1889年)には高岡銀行、明治36年には高岡電灯を設立する一方で、政界にも進出するなど高岡の政財界の中心的存在であった。

筏井家住宅(県指定文化財)

 筏井家は、代々、糸などの卸商を営んでいた商家である。明治33年(1900年)の高岡大火で罹災し、明治36年に現在の家屋が再建されたことが普請文書からわかる。

井波仏壇店(国登録有形文化財)

 もともとお茶の卸商の店舗として建てられた建物を井波氏が買い求めて仏壇店を営んでいる。

佐野家住宅(国登録有形文化財)

 佐野家は明治33年(1900)の高岡大火直後に建てられたもので土蔵造り2階建て、入母屋、平入り、桟瓦葺き、桁行7.5間半,梁間5間の町屋建築である。

富山銀行本店(赤レンガの銀行)

 当初は高岡共立銀行本店として大正4年に建築された。施工は清水組、設計は東京駅を設計したことで有名な辰野金吾の監修のもと清水組の田辺淳吉が担当した。県内唯一の本格的な洋風建築物といわれている。擬ルネッサンス様式のレンガ造りのこの建物は「赤レンガの銀行」と呼ばれて市民に親しまれている。

高峰譲吉博士銅像

 タカジアスターゼの発明で有名な高峰譲吉博士誕生の地(現在の高峰公園)には、博士の銅像が建っている。

 金屋町(重要伝統的建造物群保存地区)

 金屋町は、高岡の開祖加賀藩二代藩主前田利長公により、城下の産業発展を図るため、砺波郡西保金屋から7人の鋳物師が招かれたことに始まる。

高岡市鋳物資料館

 金屋町の伝統的な民家である旧若野家の一部を改修して、資料展示室として整備。前面は格子戸風のファサードとし、町並みの景観に配慮した構造としている。金屋町に現存する古文書や歴史的な鋳物製品など数多くの資料を収集・展示している。

展示物

 伝統を守り続ける職人たちの数々の道具類を展示している。

千本格子の大寺幸八郎商店

 千本格子の大寺幸八郎商店。江戸時代から続く千本格子の家で、銅器などの金属工芸品を展示販売している。

千本格子の家並み

 今も格子造りの家々が軒を並べ、約500mにわたって続く石畳の道と格子造りの古い家並みが美しいたたずまいを見せている。