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玉 縄 城 址〜
鎌倉歴史文化交流館

 

玉縄城(写真は鎌倉歴史文化交流館に展示されていた全景)は永正9年(1512)三浦氏攻略のために北条早雲によって築かれたと云われている。永正13年(1516)に三浦氏を滅ぼした後は大永6年(1526)の安房里見氏の攻撃にも耐えた。

代々の城主は北条氏時・為昌・綱成・氏繁・氏舜、氏勝と北条一族が務めている。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際に徳川家康に包囲され開城した。関東の支配が徳川家康に代わると側近の本多正信が城主となり、その後は一門の長沢松平氏の居城となったが、元和の一国一城令で廃城になるまで続いた。

現在、城址周辺部の多くの遺構は開発が進み当時の面影を残すものは少ないが、七曲坂をはじめ、太鼓櫓、煙硝蔵、堀切、そして清泉女学院内(本丸跡で標高60m位)の諏訪壇、出丸(蹴鞠場)などが残されている。同校内の遺構の見学は敷地内なので見学の際は予め連絡が必要です。現在はステージ3のコロナ禍の影響により立入り禁止となっていた。

また周辺には玉縄城主の菩提寺の龍宝寺や玉縄ふるさと館、移築保存されている旧石井家住宅(国の重要文化財)など名所、旧跡がある。

 

  <追記>
「戦国時代の鎌倉」と題する企画展が鎌倉歴史文化交流館で期間2020.12.5〜2021.2.13まで開かれているので訪ねた。本展では鎌倉府の滅亡により荒廃した鎌倉で、後北条氏と鎌倉の人々が現在に繋がる基礎を築いていった様子を、玉縄城跡の出土品や古文書を通して展示、紹介している。

 

 

七曲坂・冠木門

本丸大手門に続く丘陵を上る急道で、いくつにも折れ曲がっていることからこの名がある。入口には冠木門が復元されている。 

武者たまり趾

七曲坂の途中に武士が詰めるための平場が武者たまり趾。敵が攻め込めなかった堅い守りの一つ。

太鼓櫓

合図の太鼓を打った場所。七曲坂を登り切ると平場があり、緑地公園として解放されている場所が太鼓櫓。

煙硝蔵

太鼓櫓の南側斜面下に広がる平場が煙硝蔵で武器弾薬庫があったところ。

太鼓櫓からの展望

鬱蒼とした木々の間からのぞかな眺望が広がっている。

大手門跡

 清泉女学校の裏門が大手門と呼ばれる本丸表門があった場所。戦後の宅地化により全く面影がない。

本丸跡(清泉女学院内) 

本丸は丘陵頂上のすり鉢状の地形を利用して構えられていた。現在清泉女学院の敷地内となっているので自由に見学できない。 

諏訪壇(土塁)(清泉女学院内) 

清泉女学院の敷地内にあるが、諏訪壇は本丸の東側の城内の最も高い場所(標高約80m)にあった土塁。諏訪壇に上がる石段の横に「玉縄城址碑」が建っている。廃城するまで城の守護神である諏訪神社を祀っていたと伝わる。 

陣屋坂

 防衛拠点としてこの付近に見張り陣屋が、又城主の舘もあったと考えられている。陣屋坂を登りきると、本丸に通じる大手門跡がある。


玉縄首塚

 大永6年(1526)、安房の里見義豊が鎌倉に攻め込んだ際、玉縄城の初代城主北条氏時に従い、応戦戦死した35名を供養した塚。

龍寶寺山門

茅葺きの屋根で元禄年間に建てられたものという。

龍寶寺本堂(曹洞宗)

玉縄城主の菩提寺。3代目城主北条綱成による開基で創建は文亀3年(1503)。玉縄城主や源実朝の位牌が祀られている。

玉縄城主供養塔(境内)

北条綱成、繁氏、氏勝の三代城主が祀られている。

旧石井家住宅(境内)

元禄期(1688〜1704年)に建てられた旧石井家住宅が龍宝寺境内に移築されている。石井家は北条氏に仕えていた地侍であったが、北条氏滅亡後に帰農した一族。

玉縄ふるさと館(境内)

昔の農機具や生活道具、玉縄周辺の出土品などを展示している。

諏訪神社

玉縄城諏訪壇に諏訪大明神を祀ったのが始まりという。廃城となると現在の地に移された。


  鎌倉歴史文化交流館

  戦国時代の鎌倉ーもとの都に成してこそみめー

北条早雲像(重要文化財)

 北条早雲の肖像画(早雲寺蔵箱根町立郷土資料館画像提供)。早雲の跡を継いだ後北条氏2代当主氏綱は、鶴岡八幡宮の再建を行い、積極的に鎌倉の寺社を保護している。

早雲が詠んだ和歌 

「枯るる木に 又花の木を 植え添えて もとの都に 成してこそみめ」 (訳  枯れた木に、また花の木を植えて かつての都のようにしてみせよう)

 早雲は相模の最大勢力であった三浦氏を攻め滅ぼすに際し、深追いをせず鎌倉に入ったときに詠んだとされる和歌です。そして早雲は永正13年(1516)ついに三浦氏を攻め滅ぼします。

出土品・古文書

 玉縄城跡出土品や北条氏の書状、書類、画像などを展示している。

やぐら

 同交流館の庭から見える鎌倉時代特有のお墓「やぐら」。鎌倉時代には安達氏ゆかりの「無量寿院」という寺院があったと云われている。