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遠野物語
民話と伝説の里

 

 遠野は柳田国男が著した「遠野物語」の舞台となった地として知られている。伝承園には遠野物語の話者「佐々木喜善記念館」をはじめ、千体のオシラサマを展示している「御蚕神堂」、昔話や伝承行事で知られている岩手農家の原型南部曲り家の「菊池家」がある。

さらに周辺には「千葉家」や石碑、仏像、神社などの素朴な文化が残されており、古き良き時代の「日本の原風景」がそこかしこに残す民話と伝説の里として、多くの人に親しまれている。

 「遠野物語」とは遠野出身の文学仲間の佐々木喜善氏が語った伝説・民話を民俗学者の柳田国男が聞き取り、1910年(明治43)に著したもので、全部で119話からなる。内容はカッパ、ザシキワラシ、オシラサマといった民間に伝えられてきたものが多く、遠野地方には今も広く語り継がれている。

 

 カッパ淵・常堅寺

カッパ淵

 常堅寺の裏を流れる小川の淵にはカッパが多く棲んでいて、人々を驚かし、いたずらをしたと云われている。

小さな祠とカッパ  

 川辺にはお乳の神様を祀った小さな祠があり、カッパ狛犬はここから逃げたと伝えられている。

安倍屋敷跡 

 陸奥六郡に威勢を誇った安倍氏の一族が、天喜・康平のころ(紀元1050年頃)から構えていた屋敷で、豪壮 な直屋の母屋には数十名の家族が住み、土塁と塀に囲まれていました。八幡座舘の八幡太郎の軍と小烏瀬川を挟んで矢を撃ち合ったと伝えられる的場跡もありま す。 

常堅寺

 奥州の豪族・阿部氏の菩提寺で、この境内に頭の上に皿を載せた狛犬があり、カッパ狛犬と呼ばれている。遠野物語にも登場するカッパ淵はこの寺の裏を流れる小川に棲んでいたと云われる。 

 

ビールの魂「ホップ」 

 遠野市 は半世紀にわたり日本随一のホップ生産地として、ビールの魂をつくり続けている。ホップは8月末から9月初旬に掛けて収穫される。 

 


  伝承園 (民俗村)

遠野地方の農家のかつての暮らしぶりを再現している。

佐々木喜善記念館 

 「遠野物語」の話者、土淵町出身の佐々木喜善氏の資料と同氏を取り巻く人々との交流の資料を展示している。 

 

佐々木喜善の碑

 この石碑には「広い日本の中には実際どんな珍しい宝玉が埋没されて居るか それを掘り起さねばならぬと思ひます 佐々木喜善」と書かれている。

 

旧菊池家住宅(国指定重要文化財) 

 江戸末期の頃の南部曲り家で納屋を移築した建物です。もとは直屋であったが 曲がり部を増築している。

湯殿(お風呂) 

 鉄炮風呂が置かれ、週2〜3回入浴に使われていた。井戸からくみ上げた水を湯殿に送り込むための樋が引いてある。

つるべ井戸  

 滑車を使って井戸水をくみ上げる方法を再現したものです。

からうす(水車小屋)

 昔は、集落共同で水車を設置し、交代で利用、当番日には材料を持って行って、脱穀、粉ハタギ、ワラ打ちなど行ったものです。

オシラサマ 

 娘と馬の恋物語で知られるオシラサマ千体を展示している。オシラ人形は農業、馬、蚕の神様として信仰されている。 

飼育されていた蚕 

 東北地方には、「オシラサマ」 という蚕の神にまつわる民間信仰が残っている。

じょい(常居)

 台所の隣にある居間に相当する囲炉裏のある常居。


福泉寺

 大正元年に開かれた真言宗の寺。6万坪の広大な敷地に本堂、多宝塔、五重塔などがある。大観音像は木彫りとしては日本最大で、その高さは17m、顔の長さ2.4m、重さ31t。

五百羅漢

 200年余り前に東北地方を襲った大飢饉に心を痛めた大慈寺の義山和尚が、犠牲者の冥福を祈り自然の花崗岩に羅漢像を彫ったもの。

続石

 「遠野物語」の第91話に出てくる奇岩で、古代人の墓とも武蔵坊弁慶が持ち上げて作ったとの伝説も残っている。


南部曲り家千葉家(国指定重要文化財)

 千葉家住宅は、天保年間(1830〜1844)に主屋が建築され、大正末期までに現在のような屋敷構えが整った。主屋は馬屋を前面に張り出してL形平面とする、いわゆる南部曲り家形式の民家で、主屋の座敷では面皮材の棹縁(さおぶち)を使用するなど瀟酒(しょうしゅ)な意匠を見せる。

 千葉家住宅は、南部曲り家の分布域南縁に位置するとともに、遠野地方の典型的な間取りで、洗練された座敷意匠を採用するなど、江戸末期の大型曲り家民家として高い評価がある。

 また、主屋の周囲には、江戸末期から大正期にかけて建築された附属建物が残り、その特異な敷地構成とともに豪農の屋敷構えをよく保っている。遠野市教育委員会

 平成19年に国重要文化財に指定。平成28年4月1日から大規模修理のため、しばらくの間休館している。 

主屋

 4代目当主喜右エ門が、天保の飢饉で苦しんだ農民救済のため10年掛けて普請した。天保年間(1830〜1844)の建築。

 右手前に見えるのは馬を繋ぎ止める木杭。

ハセ小屋

 稲束を干すための横木(ハセ)及び杭を収納する建物。江戸時代末〜明治時代初期の建築。

納屋

 農具を保管する建物。以前の納屋を解体し、昭和42年(1967)にその材料を再利用して建築。