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重要伝統的建造物群保存地区
妻籠宿を歩く

 

 文豪・島崎藤村は、小説「夜明け前」の冒頭で「木曽路はすべて山の中」と著しているが、木曽十一宿は緑豊かな山間の道で繋がれている。今回は、未だ変わらぬ美しい自然と歴史と文化に触れようと、奈良井宿と同様に、今も江戸の佇まいが残る妻籠宿を訪ねることにした。

 江戸と京を結ぶ中山道約540kmに、69箇所の宿場が設けられ、妻籠宿は江戸から42番目の宿場町。馬籠宿から木曽谷を通り抜ける南北約85kmは「木曽路」として知られ、妻籠宿は中山道木曽11宿中最も小さな宿場であったが、妻籠で飯田街道につながっており、交通と商業の要所としてこの宿場町は栄えた。

 全国に先駆けて町並み保存に取り組んだ宿場で、全長約800mの町並みには1階より2階部分が前に出た出梁造り(だしばしずくり)に卯建(うだつ)のある建物が軒を連ねている。街道時代には、80軒あまりの旅籠や店が並んでいたという。

昭和43年から始まった町並み保存事業により江戸時代の面影がよみがえり、昭和51年、我が国初の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

 

 

 

 妻籠宿(重要伝統的建造物群保存地区)

 

上嵯峨屋(町有形文化財)

この建物は昭和44年の解体復元によって江戸中期の建物で、(旅籠)木賃宿であることが分かっている。

厩(うまや)

宿場ごとに、人足や馬を代えて荷物や公用の書状などを運ぶ馬を飼育するための厩の跡。

石仏「寒山拾得」像

国内唯一とされる、石仏。双体像は他に類例がない。

延命地蔵

文化10年(1813)、光徳寺住職・中外和尚が地蔵尊像の浮かび上がっている岩を河中(蘭川)から運んできたもので、堂内には直径が2mほどもある自然石が安置されている。

下丁子屋

 旅籠屋で、上・下の両方が建っている。

枡形の跡(町史跡)

 宿中の道をわざわざ直角に曲げて、賊の侵入に備えた。往時のまま残されている。

光徳寺

石垣を築き、白壁をめぐらせた寺で、明応9年(1500)に建立された禅寺。

観光案内所

観光案内所で情報収集の上での見学がお勧めです。

妻籠宿ふれあい館

木曽のひのきをを中心に使って建てられた無料休憩所。朝市や地元工芸品の製作実演や販売を行っている。

脇本陣奥谷・歴史資料館

南木曾町や木曽路の歴史、町並み保存運動、全国の町並みなどの史料をわかりやすく展示している。

本 陣「南木曾町博物館」

本陣は明治に入り取り壊されたが、島崎家所蔵の江戸後期の絵図をもとに、平成7年に復元された。島崎家は代々本陣、庄屋、問屋を兼ね務めた。島崎藤村の母の生家で、次兄広助が養子に来ている。

郵便資料館・妻籠郵便局

島崎藤村「夜明け前」にも開局当時の様子が描かれている。

脇本陣奥谷「南木曾町博物館」(国指定重要文化財)

代々脇本陣・問屋を務めた林家は、屋号を奥谷と云い、造り酒屋を家業にしていた。明治10年に建て替えた総檜造りの豪壮な建物。また島崎藤村の初恋の相手「ゆふ」さんの嫁ぎ先でもある。

水車小屋

水流の流れを受けてぐるぐると回る水車。昔ながらの風情が感じられる。

口留番所跡

17世紀半ばまでに関所(番所)が置かれ、厳しく旅人を監視した。

高札場

幕府は、庶民に対して新しい法律や方針を布告するとき、このような高札を利用した。

鯉 岩(町名勝)

大きな鯉の形をした中山道三名石の一つであったが、明治24年の濃尾大地震で形が変わってしまった。

熊谷家住宅(町有形文化財)

19世紀初頭に建てられた長屋の一部。長屋の左右の半分ずつが残り、一軒の家として使用されていた。