国特別史跡 三内丸山遺跡
旧野球場予定地の発掘
平成4年からの県営の野球場を建設する事前調査によって、大規模な集落跡の姿が徐々に姿をあらわし、竪穴住居跡や大型竪穴住居跡、掘立て柱建物跡、道路、大人や子供の墓などが見つかった。現在も当時の自然環境や生活、ムラの様子などの全体像の解明が進められているが、平成12年11月には国特別史跡に指定された。 |
復元された大型掘立柱建物(六本柱の建物)
地面に穴を掘り、柱を建てて造った建物跡です。柱穴は直径約2メートル、深さ約2メートル、間隔が4.2メートル、中に直径約1メートルのクリの木柱が入っていた。地下水が豊富なことと木柱の周囲と底を焦がしていたため、腐らないで残っていた。6本柱で長方形の大型高床建物と考えらる。集落の西北橋の大地の縁から検出されました。トーテム・ポール、灯台、天文台、見張り台、望楼、神殿などの説がある。 |
大型掘立柱建物の柱穴
六本柱の建物の柱穴。直径・深さとも約2mで、他の建物跡と比べて規模が大きく、穴の間隔はすべて4.2mでした。中に直径約1mのクリの柱が残っていた。
居住を始める前までは、うっそうとしたブナ林が大地を覆っていたが、居住が始まると同時にブナ林は姿を消し、村の周りには大規模なクリ林がつくられた。 |
小型竪穴住居(復元)
地面を掘り下げて床を作った竪穴住居が普通です。大きさは直径3m、床面積10m平方ほどで、ちょうど6畳一間くらいの広さ。中央には炉があり、この家に4,5人が生活したとみられます。これまでに550棟以上見つかりました。15棟を復元しています。 |
大型竪穴住居(復元)
長さ10m以上の大きな竪穴住居跡が見つかりました。復元したのは縄文時代中期のもので、長さ32mです。集会所、共同作業所、冬期間の共同家屋などの説があります。出土品は、日常生活に必要な土器や石器が大半でした。 |
大型竪穴住居の内部(復元)
大型竪穴住居には、炉が多数検出されることが多く、柱と柱を仕切れば小型の竪穴住居の生活単位を多数収容することができるので、共同の利用空間となっていたとみられています。 |
掘立柱建物(復元)
平面形は長方形で6本の柱からなる高床建物と考えられています。これらの建物は倉庫や墓に関係する施設と考えられていました。遺跡中央部分でまとまって見つかりました。 |
北盛土
たくさんの土器や石器が土と一緒に捨てられた場所です。ここでは、こわれた土器が広がっている様子が見学できます。
生活廃棄物(ゴミ)は分別し、場所を決めて廃棄されました。腐りやすいもの、臭いものは住居から離れた川の側や谷間や台地端の崖下などの低地へ捨てられました。
「縄文文化の扉を開く」を参考にしています。 |
縄文時遊館
大型板状土偶や縄文ポシェット(編かご)などの重要文化財の他、縄文人の生活を再現した展示をしています。
土 器
普段使っている煮炊きの土器の他に、祭りの道具と考えられる小型土器など、多種多様な土器が多量に出土しています。 |
柱 根
六本柱の柱根で、太い柱自体の根元が残っていました。柱根は状態よく残っているもので径1mに達すところがあり、柱の周りは腐らないように一度焦がしてあり、下面は刃先が丸味のある石斧で削って整えた痕跡もありました。 |
縄文人の生活
住居内の共同生活の状況が復元されている。 |
縄文人の生活
日常生活に必要な道具は、この集落で作らていました。槍や木を切る斧や弓矢なども見られます。 |
三内児童館ねぶた
縄文時游館の入り口で迎えてくれます。ねぶた祭りは8月。大きいものは高さ10メートルを超えます。 五所川原駅近くの「立佞武多の館」では、高さ22mもの立佞武多が展示されているそうです。 |