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三ノ宮・前畑遺跡 (伊勢原市三ノ宮)
三ノ宮・前畑遺跡は、伊勢原駅から北西約4kmに位置する比々多神社の三ノ宮周辺にある弥生時代後期の集落で、竪穴住居跡が見つかっています。 西駿河の菊川式土器の影響を受けた土器が出土しており、西駿河地域との密接なつながりが考えられます。
東京農業大学の三ノ宮前畑の開発予定地(写真)が遺跡の一角です。現在は同校の伊勢原農場になっている。
弥生土器
三之宮比々多神社
創建は、初代神武天皇6年の頃と伝えられ、霊峰大山を神体山として、豊斟渟尊 (トヨクムヌノミコト)を祭神とし、国家安泰を祈願したのが始まりとされています。
付近には数多くの古墳があり、また多くの文化財が収められた郷土資料館が設けられています。
三之宮郷土資料館
郷土資料館には中世から近世にかけての古文書、絵図、掛け軸などの神社伝世の資料、周辺より出土した縄文・弥生時代の土器類、馬具、装飾太刀等の考古資料2000点を保存展示しています。
<ひと足のばして>
埒面古墳(伊勢原市三ノ宮)
らちめん古墳は、比々多神社の北側、恵泉女子学園短大の構内に位置(この周辺は、元々比々多神社境内地)します。
この古墳は昭和43年(1968)に工事中に発見され、横穴式石室をもち、 現在は露出した石室や玄室、玄門、羨道も見ることが出来ます。
乳文鏡(銅鏡)、銀装太刀、鉄族、馬具、耳環などが出土していて、遺物から6世紀後半から7世紀と想定されます。平成12年度からの3次にわたる調査で、墳丘規模は直径40メートルの円墳を呈することが分かりました。 三之宮郷土資料館の資料より
太田道灌公の墓
市内の洞昌院(写真)、大慈院の二か所に、当地で非業な最期を遂げた戦国時代の武将で江戸城を築城した太田道灌公の墓があります。
山内上杉氏とその一族の扇谷上杉氏は関東の派遣をめぐって争う中、山内上杉顕定は扇谷上杉の勢いの原因である太田道灌を倒そうと、一計を案じ上杉定正に讒言をしたことにより、道灌は文明8年(1486)、主君上杉定正の屋敷(伊勢原市)で暗殺された。