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国指定史跡
三 殿 台 遺 跡

 

 三殿台遺跡は、横浜市磯子区岡村の標高50mの丘に位置する縄文から弥生・古墳時代にわたる集落跡として、国指定史跡になっている。

 昭和36(1961)年に発掘調査が行われ、250戸を超える竪穴住居跡(縄文時代8戸、弥生時代151戸、古墳時代43戸、他に時代不明の住居跡50戸)や、溝状の遺構などが見つかり、各時代の様相が明らかになる。

 併設の三殿台考古館には、各時代の石器や土器が展示されてるが、 ここでは何よりも、一か所で縄文から弥生、古墳時代に至る集落の変遷を連続的に触れることが出来るのが大きな魅力と云える。

 

 竪穴住居(縄文時代中期・紀元前3000年頃)

 自然界に食料を求めて暮らした縄文時代の人々は、こうした日当たりの良い丘の上に数件で構成されるむらをつくった。
 この住居は、長い縄文時代の中でも、とくに生活条件のよかった時期で、こうした村のあとは、横浜でも数多く発見されている。
 家の平面はまるみのある五角形や六角形、または円形に近いものが多く、床の中央に土器を埋めたり河原石で囲んだ炉があり、家の外形は、一般には円錐形と考えられる。

 竪穴住居(弥生時代中期・紀元1世頃)

 紀元前4世紀頃に大陸から伝えられた稲作の技術は、食料のすべてを自然界に求めた縄文時代から、農耕生産を基礎とした弥生時代の村落社会を生み出した。
 この家屋は、三殿台遺跡で発掘された弥生時代のものではもっとも古く楕円形の平面を示し、床の北側に炉が掘られていた。四本の支柱に支えられた入母屋造りである。

竪穴住居(古墳時代後期・紀元7世紀頃)

 この地方が大和の中心とする、古代国家の支配下に入った大化改新頃になっても、農民たちは弥生時代と大差ない竪穴住居にすんでいた。
 これも四本の支柱で支えられた入母屋造りであるが住居の平面は方形になり北側屋内にかまどが築かれ、米が主食として普及したことを物語っている。

  弥生時代住居跡

  三殿台の丘に再びムラが作られたのは、弥生時代中期(約2000年前)のことです。この頃、大岡川流域では稲作を中心とした本格的な農耕が始まりました。

 遺跡では、弥生時代の中期から後期の終わり頃にかけての竪穴住居跡が、約170軒も見つかりました。同時期にあった家の数は最多でも20軒程度ですが、それでも規模は大きく、大岡川流域の拠点的なムラでした。

 縄文土器

 縄文土器は、縄や貝、竹などを使って様々な模様を付けています。形は深鉢が多く、貯蔵や煮炊きに使われました。

 弥生土器

 弥生土器は、縄文土器に比べて薄手で模様が簡素化されています。器の形ごとの使い道が明確になります。貯蔵用の壺と煮炊き用の甕が代表的な器形で、壺には文様が付きます。

 須恵器(左)と土師器(右)

 須恵器は古墳時代中ごろ(約1600年前)になって出現します。朝鮮半島から伝えられた土器です。釜を作り還元炎で焼くことから、灰色で硬いものに仕上がります。

 土師器は古墳時代の土器のうち、弥生土器の流れをくむ素焼きの土器です。淡い褐色をして、多くは文様がありません。用途によって様々な形があります。発見された土器の中には、今日のほぼ大阪府・奈良県・京都府の一帯の特徴を持つたたき板で形を整えた甕が主流です。

 石 棒

 安山岩製の大型の石棒で、元の石の形をほぼそのまま利用しています。石棒は実用の道具と異なり、儀式などに使われるものです。

 遺跡の発掘状況

 1899(明治32)年に、「屏風ヶ浦岡村貝塚」の名前で学会誌に紹介されました。その後、小規模な発掘調査が何度か行われました。1961(昭和36)年の夏、隣接する市立岡村小学校(当時は市立滝頭小学校岡村分校)の校地拡張計画にともなって遺跡全体を発掘することになり、約10,000?の台地全体を夏休みの短期間で調査するため、多くの研究者や中・高・大学生・市民ら述べ5000人が参加し、地元住民の協力の下で行われました。(考古館及び現地の解説板より)

 貝塚跡

  この遺跡の隣には、立ち入ることはできませんが、縄文時代後期の貝塚もあります。弥生時代の貝塚が見つかり、弥生人も貝類を食べていたことが知られています。