小銅鐸
小銅鐸は弥生中期〜古墳時代前期に作られた小型青銅製品で、九州・中国地方や東海・関東地方など、銅鐸分布圏縁辺に多く分布している。全国でも約50例しかなく、県内では3例目の出土となるが、これまでの出土例に比べて遺存状態がきわめて良好です。県内出土例は海老名市本郷遺跡と平塚市広川公所遺跡群内沢遺跡がある。 |
木製の高坏
相模川の辺に営まれた遺跡であるため、地下水の影響で木材などが腐りにくい状態でした。初めて発見された古い時代の川跡部分からは、農具などの木製品が良好な状態で多数出土している。
「各地の弥生土器」弥生後期では、在地産土器の他、東京湾沿岸に分布する久ケ原式・三河の欠山式・西遠江の伊庭式など、他地域の特徴がみられる土器が出土している。遠隔地との密接なつながりが認められる。 |
ひと足のばして
海老名市温故館
相模国分寺跡が国指定史跡となった大正10年(1921)に海老名小学校の校庭に建てられた遺物陳列館がその始まりです。昭和57年(1982)に海老名市立郷土資料館として開設され、考古・歴史・民俗の各資料が収蔵・展示されている。
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相模国国分寺 なぜ海老名に
國分寺は国府に隣接する場所に造られることが多いが、相模国分寺は国府から10km以上も離れた?座郡(海老名市)に設置された。近年の発掘調査で、この地に建てられた理由として遠方から見える、水害がなく、修行場に近いなどから当初から国府は大住郡(平塚)、國分寺は?座郡(海老名)にあったことが明らかになったという。 |
相模国分寺跡(国指定)(海老名市国分南)

相模国分寺は、天平13年(741年)の「国分寺建立の詔」によって全国に建立された寺院の一つです。 諸国国分寺でも珍しい法隆寺式伽藍配置で、南北300m、東西240mという広大な敷地があったことが発掘調査によってわかっている。塔(写真右)・金堂・講堂跡には礎石と基壇が残り、北・南面廊跡、鐘楼跡・経蔵跡や大型建物跡などが発掘調査により確認されている。 |
相模国分尼寺跡(国指定)(海老名市国分北)

天平13年(741年)の「国分寺建立の詔」によって全国に建立された寺院の一つです。 発掘調査によって金堂跡、経堂跡、鐘楼跡、回廊跡などが見つかっている。出土した瓦などから8世紀後半頃に完成したと考えられている。 |