HOME

 うさぎの京屋敷めぐり

 京屋敷めぐり

 伏見屋敷めぐり

 全国の武家屋敷めぐり

 京都幕末史跡めぐり

 幕末諸藩の状況

 幕末京都の世相 

 名所・旧跡めぐり

 遺跡めぐり

 

 

遺跡めぐり

 三内丸山遺跡

 纏向遺跡 

 かながわの遺跡 

 三殿台遺跡 

 大塚・歳勝土遺跡 

 神崎遺跡 

 赤坂遺跡

 本郷遺跡

 河原口坊中遺跡

 倉見才戸遺跡 

 岡田遺跡

 中里遺跡

 大原遺跡

 平沢同明遺跡

 砂田台遺跡 

 三ノ宮・前畑遺跡

 折本西原遺跡

 梶ヶ谷神明社上遺跡

 勝坂遺跡 

 

遺 跡 め ぐ り(その1)

 

本郷遺跡(海老名市本郷) 

 本郷遺跡は、富士ゼロックス海老名事業所付近一帯の大規模な遺跡で、相模川とその支流目久尻川との間の台地上に位置している。昭和46年からの発掘調査により古墳時代の工房跡や弥生時代の小銅鐸、方形周溝墓が見つかっている。同事業所前にこれを示す案内板が掲げられている。

 

 

小銅鐸 

 古墳時代前期と推定される玉作り工房や小銅鐸などが出土している。小銅鐸は、高さ約8?で、個人の祭祀に使用されたのではないかと考えられている。

 土 器

 この土器の特徴は、在地のものが主体で少量ながら東海地方をはじめとして他地域の土器も出土している。このことから長期間にわたる継続的な他地域との交流があったことが分かる。   海老名市教育委員会、温故館より


 河原口坊中遺跡(海老名市河原口)

 河原口坊中遺跡は相模川東岸の標高約21〜22mの自然堤防上に立地しており、弥生時代から近世に至るまでの集落跡。
 弥生〜江戸時代までの遺構や遺物が多数出土している。 なかでも弥生時代の青銅製の小銅鐸や銅釧、木製の高坏など出土例の少ない遺物が発見されている。相模川沿岸の堤防上のこの一帯は遺跡発掘現場ながら、訪ねた時は、既にさがみ縦貫自動車道(圏央道)の建設工事中(海老名ICから相模原愛川ICまで・・・平成25年3月30日開通予定)

 小銅鐸

  小銅鐸は弥生中期〜古墳時代前期に作られた小型青銅製品で、九州・中国地方や東海・関東地方など、銅鐸分布圏縁辺に多く分布している。全国でも約50例しかなく、県内では3例目の出土となるが、これまでの出土例に比べて遺存状態がきわめて良好です。県内出土例は海老名市本郷遺跡と平塚市広川公所遺跡群内沢遺跡がある。

 木製の高坏

 相模川の辺に営まれた遺跡であるため、地下水の影響で木材などが腐りにくい状態でした。初めて発見された古い時代の川跡部分からは、農具などの木製品が良好な状態で多数出土している。

「各地の弥生土器」弥生後期では、在地産土器の他、東京湾沿岸に分布する久ケ原式・三河の欠山式・西遠江の伊庭式など、他地域の特徴がみられる土器が出土している。遠隔地との密接なつながりが認められる。


 

 ひと足のばして

  海老名市温故館

 相模国分寺跡が国指定史跡となった大正10年(1921)に海老名小学校の校庭に建てられた遺物陳列館がその始まりです。昭和57年(1982)に海老名市立郷土資料館として開設され、考古・歴史・民俗の各資料が収蔵・展示されている。

 相模国国分寺 なぜ海老名に

 國分寺は国府に隣接する場所に造られることが多いが、相模国分寺は国府から10km以上も離れた?座郡(海老名市)に設置された。近年の発掘調査で、この地に建てられた理由として遠方から見える、水害がなく、修行場に近いなどから当初から国府は大住郡(平塚)、國分寺は?座郡(海老名)にあったことが明らかになったという。

 相模国分寺跡(国指定)(海老名市国分南)

 

 相模国分寺は、天平13年(741年)の「国分寺建立の詔」によって全国に建立された寺院の一つです。 諸国国分寺でも珍しい法隆寺式伽藍配置で、南北300m、東西240mという広大な敷地があったことが発掘調査によってわかっている。塔(写真右)・金堂・講堂跡には礎石と基壇が残り、北・南面廊跡、鐘楼跡・経蔵跡や大型建物跡などが発掘調査により確認されている。

  相模国分尼寺跡(国指定)(海老名市国分北)

 天平13年(741年)の「国分寺建立の詔」によって全国に建立された寺院の一つです。 発掘調査によって金堂跡、経堂跡、鐘楼跡、回廊跡などが見つかっている。出土した瓦などから8世紀後半頃に完成したと考えられている。