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遺 跡 め ぐ り(その4)

 

大原遺跡 (横浜市都筑区)

  大原遺跡は、港北ニュータウンの建設に伴う1981年からの発掘調査により、46軒の竪穴住居跡と方形周溝墓が4基見つかった弥生時代後期の環濠集落です。又複雑な模様が描かれた土器や当時としては貴重な鉄釧も出土しています。

 写真は調査地の一角(早渕1丁目40の道路沿左上付近)の現況です。

 

 

 発掘当時の遠景 

 竪穴住居跡

 環 濠

 環濠から出土する土器から、終末期に埋まったことが分かる。

 出土した弥生土器

 ベンガラで赤彩され、複雑な模様が描かれた華麗な土器が多い。弥生時代後期は各地で独自の装飾壺が作られた。

ベンガラとは土から取れる成分(酸化鉄)で紅殻、弁柄とも呼ばれ、旧石器時代から使われた最古の顔料であり古代色です。

 方形周溝墓の玉類

 中央のヒスイの勾玉は北陸産のものがもたらされている。青いのはガラス製のビーズ。


 

 折本西原遺跡(横浜市都筑区)

 折本西原遺跡は、鶴見川と大熊川に挟まれた、東西に長い台地の中ほどに位置し、周辺は平坦面が広がっている、大塚遺跡の南方約3?のところにある弥生中期後半の宮ノ台式土器を伴う環濠集落です。集落規模は推定7万m2以上と推定されており、発見された住居数は84軒、この地域の環濠集落群の中心的集落ではないかと考えられています。

現在は写真の折本町西原公園(地元の人の話ではこの地に旧折本小学校があった由)、IKEA港北、淡島神社に広がる一帯です。

 出土した弥生土器

横浜市歴史博物館 常設展示案内資料より


 ひと足のばして

 せせらぎ公園のカワセミ(勝田町南一丁目)


 大原遺跡から横浜市営地下鉄ブルーラインの仲町台駅へ向かう途中、遊歩道「セキレイの道」を散策しながら、せせらぎ公園に到着すると、池のほとりの止まり木に止まっているカワセミを偶然にも発見(2月下旬)、時々公園の池や川でカメラを構えている人たちを見かけますが、今回は貴重なショットをデジカメに収めることが出来ました。奥には古い民家が移築され、様々な催しが行われています。

 

 茅ヶ崎城址公園(茅ヶ崎東二丁目)

 茅ヶ崎城址は、「空堀」「郭」「土塁」などが良好な状態で残る、貴重な中世城郭遺跡です。早渕河を北に望む自然の丘を利用して築城されています。
茅ヶ崎城は14世紀末〜15世紀前半に築城されたと推定され、15世紀後半に最も大きな構えとなります。16世紀中ごろには二重土塁とその間に空堀が設けられました(この築城方法は、後北条氏独特のものとされる)。
 築城には、それぞれの時期に相模・南武蔵を支配した上杉氏(室町時代)や後北条氏(戦国時代)が関与していたと推定されます。
 16世紀末までには、城としての役割は終わります。江戸時代には、徳川氏の領地となり、村の入会地(共有地)などとして利用され、「城山(じょうやま)」という地名とともに、今日まで保存されてきたのです。茅ヶ崎城址は、貴重な歴史資産なのです。

  『茅ヶ崎城址公園』説明板より