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中 里 遺 跡

 

中里遺跡は足柄平野のど真ん中、小田原市中里にある東日本では最古の本格的な弥生時代の農耕集落。

  1952年に大同毛織小田原工場建設の時に遺跡の一部が発見され、その後再開発事業(ロビンソン百貨店)(写真)による1991年からの本格的な発掘調査が行われた。

  集落内からは、多数の竪穴住居跡、掘立柱建物跡、高床倉庫、方形周溝墓が発見されています。土器に関しては、地元の中里式(須和田式)が多い中で、既に稲作時代を迎えていた瀬戸内海東部(兵庫県周辺)の「瀬戸内系土器」なども多く見つかっている。

  その後、平成24年2月18日に小田原市民会館で開催された中里遺跡をテーマとする「弥生ムラの出現とその背景」のシンポジウムに参加、弥生の多様な文化や社会の有り方(米作りや集落の構成、墓の形態、石器の種類など)、他地域の特色などについて各先生方から発表があり、大変興味深く、有意義でした。

 

 空から見た中里遺跡(手前中央)

 足柄平野のほぼ中央の平坦な台地に立地し、西は箱根、北は丹沢山地、現在の海岸線までは直線距離で1.5kmに位置しています。

 発掘調査の結果、第1地点で確認された集落は、当時の浅い川自然流路によって区画され、その範囲はおよそ30,000�岼幣紊砲盖擇崑腟�模なものと推定されます。

 住居跡調査風景

 竪穴住居完堀状態

 集落内からは、竪穴住居跡102軒、掘立柱建物跡(高床倉庫)72棟、土坑(ゴミ捨て穴ほか)824ケ所、井戸跡6ケ所又墓域から46基の方形周溝墓が発見されました。

 大型掘立柱建物跡

 集落内からは、竪穴住居跡102軒、掘立柱建物跡(高床倉庫)72棟、土坑(ゴミ捨て穴ほか)824ケ所、井戸跡6ケ所又墓域から46基の方形周溝墓が発見されました。

木製鍬出土状態(河道中)

  稲作と共に日本に伝えられた「大陸系磨製石器」と呼ばれる、農工具などを製作するためオノやノミ、稲を摘み取る石包丁、土を耕すための石鍬、木鍬や寵類など稲作に関係する一連の遺物も発見されました。
 さらに、炭化米(籾が炭状になったもの)、鹿や鳥の骨、桃や瓜科の種子など、食料の一部も多く出土しました。

出土した中里式(須和田式)土器群

 縄文時代の伝統を受け継ぐ中里式(須和田式)土器が多く出土しています。

 出土した瀬戸内系土器群

 土器の多くは在地(地元)の中里式土器ですが、その他に既に稲作時代を迎えていた瀬戸内地方東部(兵庫県神戸市周辺)で作られた土器である「瀬戸内系土器」も多く含まれていました。

(現地の案内板より)

 中里式(須和田式)土器出土状態(河道中)


(現地の案内板より)