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国 指 定 史 跡

神 崎 遺 跡

 

神崎遺跡は綾瀬市の南西部にある弥生時代後期(今から約1,800年前)の環濠集落で、規模としては南北103m、東西65mの楕円形で、面積は約5000?です。

 平成元年(1989)に本格的な調査が始まり、楕円形の環濠と6軒の竪穴住居や土器が確認されている。

  その後の新聞報道によると、平成22年(2010)に再度発掘調査が行われ、環濠内南半分から弥生時代の住居跡が9軒、続いて平成25年(2013)には中央部から新たに弥生時代の住居跡が3軒発見され、これまでのところ計18軒、うち2軒で、住居が重なっていることから、建て替えが行われていたことが分かった。

 出土土器のほとんどが東海地方(愛知県東部・静岡県西部)の影響が見られ、集団で移動してきたことが明らかになったこと、環濠集落全体の遺存状態が非常に良好なことなどから、 平成23年2月(2011)に国史跡に指定された。

 現在は、遺構は埋め戻され、周りは畑地になっているが、2015年度末までに歴史公園化が予定されている。

発掘調査風景

 発掘調査は昭和62年(1987)より行われ、市史編集に向けて平成元年(1989)本格的な発掘調査が行われた。

 発掘当時の遺跡の全景(平成元年)

 南北103メートル、東西65メートル、総延長270メートルと推定される楕円形をした環濠が検出された。環濠内の面積は約5000平方メートルであり、環濠内からは住居址が検出されている。

 住居跡は実線 環濠は点線の部分

 遺跡北半部全景

 平成元年(1989)に市史編集事業の一環として、 遺跡の北半分を主に発掘調査した。

住居跡

 環濠内部の北側から、平成元年(1989)の発掘時に6基の住居址が検出された。続いて平成21年(2009年3月)の調査時に南側から3基の住居址が検出され、神崎遺跡からはこれまでのところ9基の住居址が検出されている。

 出土土器(平成元年)

 出土土器の95%以上が現在の愛知県から静岡県にかけての土器とそっくりで、これにより、人々が集団で200km以上移動し、遠く離れた故郷の土器を移動先で作ったことが明らかになった。その後の研究で土器だけでなく、住居跡の形にも東海地方の影響が認められた。

 現地の案内板より