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国指定史跡
勝 坂 遺 跡

  勝坂遺跡は、「勝坂式土器」で知られる相模原市磯部字勝坂にある縄文時代中期の代表的な集落跡です。遺跡の西側、鳩川に面した段丘面から縄文時代草創期の住居跡状の遺構と当時の土器、石器が見つかっており、現地には縄文時代の竪穴住居が復元されている。1974年に国史跡に指定され遺跡公園として整備されている。

  当地を訪れた後タイミング良く、平成24年度かながわの遺跡展 巡回展「勝坂縄文展」及び講演会が開催されていたので(神奈川県立歴史博物館(2012年12月15日(土)〜2013年2月7日(木))見学、受講した。

  当日の明治大学教授・阿部芳郎氏による「勝坂遺跡と公爵 大山 柏」をテーマにしたかながわの遺跡展講演会では、1926年(大正15年)、大山柏により最初に発掘調査をした勝坂遺跡からは多くの土器や打製石斧が見つかったことやドイツ留学から帰国した後、青山の自邸内に史前学研究所を開設し、その後の縄文研究において多大な成果を残したことなど興味深く学んだ、、、、大山柏は陸軍大臣大山巌の次男で陸軍少佐・公爵で戦前の考古学をリードした研究者。

  また、勝坂遺跡から出土した様々な装飾が施された魅力的な造形で知られている勝坂式土器やヘビをかたどった土偶など、縄文造形の魅力をいち早く見出した岡本太郎さんの作品も展示、紹介されていた。

 

 

竪穴住居(笹葺)

1号住居:縄文時代中期後葉(約4700年前)
復元住居、屋根:笹葺、柱材:クリ、床:ローム土

 勝坂遺跡D区の南集落には50軒もの住居が発見されている。竪穴住居「跡」の数からは、大規模に見える集落ですが、集落の長きにわたる継続期間のなかで、住居の構築・建替・廃絶を繰り返した結果としての集落「跡」であるのが実像です。

竪穴住居(土葺)

3号住居:縄文時代中期後葉(約4700年前)
復元住居、屋根:土葺、柱材:クリ、床:ローム土

 土葺住居は密閉された室内空間をつくる特徴から、非常に保温性に優れた住居形態といわれています。3号住居には、石囲いの炉があり、家を暖めていたのではないか。一方で、雨漏りや湿気のため、湿潤な時期に住むのには適さず、寒い時期だけの「冬の家」とも考えられている。

 勝坂式土器発見の地

 大正十五年(1926年)十月三日、考古学者大山柏氏が中村忠亮氏所有の畑地を発掘調査した際に、初めて発見され、この付近が勝坂式土器の発見の地と云われている。そ後、昭和三年(1928年)には、考古学者山内清男氏により時期区分の基準となる土器として、「勝坂式」という土器型式名称が与えられ、勝坂遺跡は勝坂式土器の標式遺跡となった。
 

 勝坂式土器

 「勝坂式土器」は、今から約5000年前の縄文時代中期につくられたものですが、イラストの顔面把手のように彫刻的な把手や立体的な文様に大きな特徴がみられ、器形の雄大さや装飾の豪華さなど、その造形は他のいずれの土器型式にも例をみないものです。 

以上、現地の説明板より抜粋


 中村家住宅主屋と長屋門(国登録有形文化財)

   

 「勝坂地区」にある全国的にも珍しい幕末期の和洋折衷住宅です。建築当初は3階建てでしたが、関東大震災後3階部分は取り除かれ2階建てとなっています。1階は和風、2階は洋風な外壁です。

 建築を手がけたのは鎌倉大工の石井甚五郎で、10年の歳月をかけて完成したと伝えられている。 長屋門は、幅が63尺(約19メートル)の長大なもので、主屋と同時期の慶応年間(1865−1868)に建設されたと推定される。