HOME

 うさぎの京屋敷めぐり

 京屋敷めぐり

 伏見屋敷めぐり

 全国の武家屋敷めぐり

 京都幕末史跡めぐり

 幕末諸藩の状況

 幕末京都の世相 

 名所・旧跡めぐり

 遺跡めぐり

 

 

遺跡めぐり

 三内丸山遺跡

 纏向遺跡 

 かながわの遺跡 

 三殿台遺跡 

 大塚・歳勝土遺跡 

 神崎遺跡 

 赤坂遺跡

 本郷遺跡

 河原口坊中遺跡

 倉見才戸遺跡 

 岡田遺跡

 中里遺跡

 大原遺跡

 平沢同明遺跡

 砂田台遺跡 

 三ノ宮・前畑遺跡

 折本西原遺跡

 梶ヶ谷神明社上遺跡

 勝坂遺跡 

 

遺 跡 め ぐ り(その2)

 

倉見才戸遺跡(寒川町倉見) 

 倉見才戸遺跡は、平成3年の日鉱金属ひかり社宅建て替えに伴う発掘調査をはじめ、4度の調査が実施された。

 その結果、弥生時代中期の大型住居や環濠(村のまわりにめぐらせた溝)、弥生時代後期の竪穴住居や環濠を中心に、古墳時代、平安時代の住居などが確認されている。
 特に、弥生時代中期の大型住居は相模川沿岸ではめずらしく、出土した土器や石器からは東海地方の影響が見られるものもあるようです。出土品の一部は寒川町文化財学習センターで見ることができます。

大型住居跡(一次調査)

出土石器(左から3点目が有角石斧<一次調査>)

(写真は現地の案内板より)


 

  岡田遺跡(寒川町岡田)

 岡田遺跡は、県営岡田団地(岡田もくせいハイツ)立替に伴い、昭和57年から昭和63年まで発掘調査が行われました。その後も何度か調査が実施され、調査の結果、縄文時代中期(今から4000〜5000年前)を中心とした巨大集落が確認されました。

 その大きさは、日本でも最大級の縄文時代の集落といっても過言ではありません。500軒以上の竪穴住居址が確認され、全体では1000〜1500軒にものぼると推定されます。

 また、弥生時代後期の方形周溝墓や竪穴住居址も確認され、弥生時代にも集落や墓域が形成されていたものと考えられます。出土した土器や住居のレプリカは、寒川町文化財学習センターで見ることができます。

 上段の写真は、県営岡田団地(岡田もくせいハイツ)

 下段は越公園(もくせいハイツ隣)

出土土器

写真は県立博物館資料より

 住居内遺物出土状況

  住居跡出土状況

写真は現地の案内板より


 <ひと足のばして>

 安楽寺(寒川町岡田)

 安楽寺は養老2年の開創と伝えられ、江戸時代には寒川だけでなく、海老名、藤沢市に及ぶ末寺18ヶ寺を支配していました。

 

 大応神塚(おおじんづか)

 大(応)神塚は岡田の安楽寺の西側にある前方後円墳で、全長約50m、後円部の高さ約5mという規模です。明治41年に発掘調査が行われ、鏡、勾玉、切子玉、直刀などが出土しました。また、昭和52年には、県教育委員会の測量調査も行われ、これらの成果から5世紀前半の墳墓と推定されています。出土遺物は寒川神社に保存されています。