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上山市指定文化財
上山武家屋敷

 

 「羽州の名城」と称えられる上山城(月岡城)(写真左)は武衛義忠が天文4年(1535)に築城。その後、最上氏、松平(能見)氏、蒲生氏、土岐氏、金森氏を経た後、元禄10年(1697)松平(藤井)氏が入封、以降明治維新まで松平(藤井)氏代々の居城となった。

 この内、土岐時代に最も城郭・城下が整備されたが、元禄5年(1692)土岐氏の転封と同時に幕命により破却された。現在の天守閣は昭和57年(1982)の再建で、郷土歴史資料館になっている。

 城下の西・北部一帯は武家屋敷となり、この仲丁通り(同右)には、藩の要職にあった家臣が居住していた。現存している家屋は、17世紀中頃の建造と推定され、建築様式は茅葺屋根、鉤形の曲屋、玄関と通用口とを別にする武家中門造りで、屋敷の周りには土塀または土塁が築かれている。幕末まで在封する藤井松平氏時代に西山の谷川から引水して造られた庭園の池は、防火用水ともなり、自然の趣を添えています。

森本家 / 三輪家 / 山田家 / 旧曽我部家

 

 

 上山城

天守閣からの眺望

 蔵王連峰の山々や市街地の眺望がすばらしい。

土岐灯籠と庭園

寛永五年(1638)上山城主となった土岐頼行公は、上山城本丸より蔵王連山を望むこの佳景の地に、紫衣事件に連座して当地に謫居中の、京都大徳寺第153世住持であった沢庵禅師設計による、奇岩怪石を配し、仏門の須弥山を模した室町時代風の庭園を築造し、土岐氏二代60余年間、朝夕この築山に蔵王を眺め、花鳥風月を愛でながら過ごした。


森本家

 森本家の先祖は、丹波国多紀.軍大雲郷の出自で、代々藩主の随伴役が多く、江戸・上山・大坂と転勤し、上山に定住したのは宝永3年(1706)の春であり、現在の屋敷に引っ越ししたのは文久年間(1861〜63)以降といわれ一部模様替えはあるものの、先住者から引き継いで居住している。


三輪家

 三輪家の初代飯田小助(初名)は、豊前国中津藩奥平氏に仕えていた飯田一翁の次男で、寛政8年(1796)に藤井松平氏11代信古の家臣となり、初めて三輪氏を名乗り、名も十郎佐衛門重胤と改め、江戸藩邸上屋敷に勤務、後に側用人準参政となった。側用人という役目柄、藩主の随伴役で上山と江戸あるいは大坂と慌ただしい勤務となり、上山に定住したのは嘉永5年(1852)10月であるが、翌年には惣領席に任ぜられ、藩校明新館の教師として勤務している。

建物の建築年代は、文化年間の初期と推定され、現在の玄関が元表口で右側に正式の玄関と仲間の部屋があった平入り寄棟造りで、一部改造されているが、曲屋茅葺のままである。庭園には北向きに築池を配し、松や樅の木に躑躅などもあって武家屋敷の風情を添え、往昔の佇まいを偲ばせている。現在の当主は5代目である。三輪家は有料で建物内を見学可。


山田家

 山田家の先祖は、常陸国茨城郡笠間の出自で、元禄10年(1697)頃には藤井松平氏の家臣として、宝歴3年(1753)4月から上山に定住した恒右衛門を初代としている。

 代々惣領席・馬廻席のほか寺社・町・郡・勘定等の各奉行、者頭・大目付を務め、特に藩主の御側勤めや随伴役が多く、江戸と大坂、あるいは上山と勤務し、国元との間を頻繁に行き来している。

  建物の建築年代は、文化元年(1804)の.頃と推定され、一部模様替えはあるものの曲屋茅葺のままで往昔の家中地としての.風格を遺している。屋敷には松の大樹があったことからこの本邸を「松陰亭」と愛称し、庭園には高野槇や躑躅・百日紅などもあって風情を添え、武家屋敷としての面影を遺している。現在の当主は9代目である。


旧曽我部家

 初代は.宗八と称し、宝永5年(1708)藤井松平氏の代、信通の家臣となり、宗旨奉行や馬廻役を務め、天明3年(1783)大目付となり、代々要職に就いている。

 曽我部家は初代からこの地に居住し、当時の敷地は2000?で、そのほかに城門にも土地を有していたという。 間取りは一部改造されているが、玄関の間の上手の槍掛場・.刀置場・上段などは、いかにも武家の居宅らしいものがあり、勝手口側4m程の所にある.「釣瓶井戸」は、近年まで使われていたものである。特にこの建物の表玄関は武家中門造りで、中級武家屋敷の様式をよく表し、屋敷には柿が植えられ、庭園には築池を配し、樫松・桜・梅擬きや躑躅などあり、黒竹や桧葉の生垣を廻らし、風情を添えている。

<現地案内板及び上山藩武家屋敷案内図より>


春雨庵

 寛永6年(1629)、紫衣事件により、上山へ流罪になった大徳寺の沢庵禅師に、城主土岐頼行が建てたとされる草庵。禅師はここで3年ほど暮らした。現在の庵は昭和28年に復元されたもの。