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臼 杵の 武 家 屋 敷

 

 

 臼杵城は、永禄5年(1562年)、豊後守護大友宗麟(義鎮)が丹生島(にうじま)台地に築いた海城。大友氏改易後は豊臣政権恩顧の大名である太田一吉らが城主を務めたが、関ケ原合戦後の慶長5年(1600年)からは美濃より5万石で入封した稲葉氏が廃藩置県まで15代にわたって臼杵藩主を務めます。今は大手門の石垣(写真左)と2基の櫓、空堀を残すのみで、本丸、二の丸の跡地は臼杵公園になっている。

  臼杵城から西南へ徒歩圏の石畳の曲がりくねった「二王座歴史の道」の坂道沿いに、漆喰壁の旧平井家、旧斎藤家、旧片切家と旧丸毛家などの武家屋敷群(同右)や白壁の商家や寺院が建ち並び、城下町の風情をよく留めている。

 臼杵で是非訪れたいのは、臼杵名物の「臼杵石仏」。市街地から南西に約5・5キロ離れたところにある60余体の磨崖仏に多くの人が参拝しています。

 

 

 臼杵城(臼杵公園)(県史跡)

鉄門跡

鉄門枡形は本丸の入り口となる重要な場所です。

天守櫓跡

 かつて3層4階の天守が建っていたが、明治6年(1873)に天守以下の建物が払い下げられ、取り壊された。

大門櫓(復元櫓)

 17世紀初頭に城内通行の利便を高めるために作られたと思われる櫓門で、17世紀後半に二の丸居館ができると玄関口のような存在になった。平成12年に模擬復元建物が整備された。両脇の石垣は18世紀後半とみられる「亀甲積み」です。

大友宗麟のレリーフ

臼杵市出身の彫刻家、日名実三氏の作品です。 

廃墟の像

 臼杵市出身の彫刻家、日名実三氏の作品です。 

 第一回帝展に「晩春」で初入選し、以後次々に作品を発表、一流彫刻家として活躍を続けた。

大 砲

 九州制覇を目指す島津氏に、臼杵城に籠城した宗麟は、「国崩し」と名付けられた大砲二門をもって島津軍に応戦したと伝えられている。

野上弥生子文学碑

 二の丸跡に建つ文学碑。明治18年(1885年)臼杵の浜町に生まれ、「真知子」」「迷路」などの多くの作品を発表した。臼杵城跡に「迷路」の一節が刻まれた文学碑がある。


  三の丸跡一帯

切通し

 旧真光寺の前は、凝灰岩を切り割って作られた「切り通し」が通っており、臼杵を代表する景観の一つです。

稲葉家下屋敷(国登録有形文化財)

 廃藩置県に伴って東京へ移住した旧藩主・稲葉家の臼杵滞在所として、明治35年(1902年)に建築されたものです。 三の丸一帯には重臣の屋敷や評定所、米蔵などが連なっていた。

上の間

 内部はトコとトコ脇を構える「上ノ間」と十八畳半の「二ノ間」を南北に並べ、南面に畳廊下、三方に縁をまわす。公的な接客空間の面影を残している。

二の間

 内部はトコとトコ脇を構える「上ノ間」と十八畳半の「二ノ間」を南北に並べ、南面に畳廊下、三方に縁をまわす。公的な接客空間の面影を残している。

庭 園

上の間からの庭園の景観。

稲葉家長屋門

 この長屋門は、江戸時代臼杵藩主稲葉家の分家の門でした。長屋門とは両側に家臣などの住む部屋を持つ門の様式ですが、臼杵藩では、家老やそれに続く重職の家来しか許されていなかった。 

旧平井家住宅(県指定有形文化財)

 安政6年(1859年)に建てられた武家住宅です。江戸時代には、藩主の親類にあたる稲葉家(禄高200石)の居宅として使用されていた。臼杵藩では上級武士の住宅になる。

 「表玄関」、「内玄関」に分けられた玄関や天井の桟が床の間に直行する「床刺しの間」が見られる。

旧丸毛家住宅(市指定有形文化財)

 上級武士の屋敷。接客、体面を重んじた武家の格式を知ることができる建物です。 丸毛氏は美濃国(岐阜県)の武士で、明智光秀の家臣だった斎藤氏の一族。三代藩主一通から200石を与えられ、召し抱えられた。

 玄関は来客用の「表玄関」と家人用の「内玄関」に分かれ、表玄関から続く格式のある表座敷。窓からは庭が望める。

旧斎藤家住宅

 斎藤氏は美濃国(今の岐阜県)出身で、初め筑後の有馬氏に仕えていたが、斎藤利隆の二男利長が臼杵藩主第5代景道に150石で召し抱えられ、臼杵に住むことになった。

旧斎藤家の棟瓦

 棟瓦には斎藤道山が好んで使ったく麦(大和なでしこ)の紋章がみとめられる。

旧片切家住宅

 石段と立派な門構えが目を引くこの屋敷は、幕末に臼杵藩随一の剣豪であり、西南戦争の臼杵の戦いで戦死した片切八三郎の屋敷として知られています。八三郎の息子中根貞彦(中根家養子)は経済人、歌人として有名でした。

進来家長屋門

 江戸時代、家老職を務めた長屋門が往時を偲ばせる屋敷。旧進来医院(すずきいいん)

家老村瀬庄兵衛屋敷跡

 幕末に至るにつれ、御勝手方総元締めとして、藩の危機的財政状況を立て直らせた天保の藩制改革の中心人物として知られている。


善法寺

 建元元年(1339年)創建の浄土真宗の寺院。真宗の寺院としては九州最古の寺。

法音寺

 慶長7年(1602年)創建の日蓮宗の寺院。3代臼杵藩主一通候が豊前を領していた細川候の三女を奥方に迎えるにあたり日蓮宗がなかったため建立された。


本町商店街(八丁大路)

 その真ん中にある、カニ醤油の鑰屋(かぎや) (左手前)は 創業1600年(慶長5年)以来同じ場所で味噌・醤油の製造販売を続けている。


  国宝臼杵石仏群

 平安から鎌倉時代の作といわれ、凝灰岩の岩壁に刻まれた大日如来、阿弥陀如来など60余体の磨崖仏群で、ホキ石仏第一群、ホキ石仏第二群、山王山石仏、古園石仏の4群に大別できる。平成7年には磨崖仏では全国で初めて国宝に指定された。

 臼杵石仏・古園石仏の前に広がる臼杵石仏公園、奥に見える建物が満月寺 。

ホキ石仏

 岩壁に一列に刻まれおおむね小さいが、真ん中の阿弥陀三尊像は高さ3m85cmもある。

古薗石仏

 13体からなる古薗石仏。中でも端正で気品にあふれる大日如来仏頭は日本石仏の一大傑作と称賛されている。

山王山石仏

 山王山の森の中にあって、3体とも邪気のない童顔である。