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杵 築 の 武 家 屋 敷

 

 

 杵築城は、国東半島の東方に位置し、高山川と八坂川に挟まれた河口の台山に、大友氏の一族、木付頼直により応永元年(1394)に築かれた。時は下って、正保2年(1645年)に松平氏が3万2千石で入封し、江戸時代、松平氏の城下町として栄えた。本丸跡に昭和45年(1970年)に復元された天守閣が聳えている。

 城下町の丘陵は、南北に分かれ、城下の南台地区と北台地区の高台には、土塀が連なる武家屋敷が建ち並び、その谷間の谷町から新町に通じる谷町筋と呼ばれる商人の町には「みそ」や「お茶」の店などが残り、石畳が美しい坂道などと共に今でも城下町風情を色濃く漂わせている。南北の高台に武士が住み、その谷間で商人が暮らした凸凹のある「サンドイッチ型」の城下町は日本唯一と言われている。

 

 

 

 杵築城跡(城山公園)

城 門

 絵図によれば、「本丸跡」「二丸跡」「三丸跡」が描かれているが、その「二丸」へ入る城門が復元されている。

石塔群(市指定文化財城山公園石造物群)

 市内から集められた石塔や石仏が多数野外展示されている。

天守からの眺望

 高台にある天守から守江湾がまじかに見える。


 城下町

 

磯矢邸

 元治元年(1864年)建築の家老加藤与五右衛門の屋敷。藩主の休息所である御用屋敷の一部に使われたことがある。

能見邸

 寛政の大火(1800年)以前は岡藤介(300石)の屋敷で、火災後、楽寿亭の御用屋敷に加えられて菜園場でした。その後、能見氏が入ったものと思われる。

大原邸

 杵築藩の上席家老大原氏の屋敷で、北台武家屋敷を代表する建物。茅葺きの堂々たる屋根、庭園も立派で、杵築における最も貴重な遺構の一つです。

中根邸

 文久2年(1862年)建築の家老中根源右衛門の屋敷。

一松邸

 杵築市の初代名誉市民となった一松定吉氏の邸宅。昭和2年9月から2年間かけて建てられたこの邸宅は当時の贅と技術の粋を結集した造りです。

藩主御殿跡

 御殿と推定される、杵築中学校の解体、新築に伴う発掘調査が行われ、主な遺構、遺物の調査成果が発表されている。

藩校学習館跡

 藩校・学習館の藩主御成門。現在は杵築小学校が建っている。

綾部みそ店

 南北の武家屋敷に挟まれた谷町から新町に通じる商人の町には、「綾部みそ」や「お茶のとまや」など、古くから続く商家が今も残っている。

酢屋の坂

 北台武家屋敷から商人の町・谷町へ下る石畳の坂道。この上から城下町全体を眺めると、二つの高台が谷町をV字型に囲んでいる様子がよくわかる。

勘定場の坂

 北台武家屋敷から杵築城へ下る石畳の坂道。

志保屋の坂

 酢屋の坂と谷町通りを挟み一直線に結ばれている谷町から南台へ登る石畳の坂道。

番所の坂

 江戸時代には城下町に続く6か所に番所が設けられ、その一つがここ北浜口の番所。

岩鼻の井戸

 この井戸は谷町の岩鼻の下にあって、町筋唯一の井戸。旅人の他、町人、農民も利用していた。