岡城跡 |
大手門へ続く石階段
石段の壁側にはその頂部に「かまぼこ石」が置かれている。 |
大手門跡
城内には、大手門、太鼓櫓門などがあったが、それぞれ門番として役職の侍番が置かれ、出入りの監視が置かれた。 |
太鼓櫓跡
本丸、二の丸、三の丸への出入り口で、城内では最も大きな石材を使用している。 |
三の丸跡
藩主の執務が中心的に行われた曲輪であったと考えられている。 |
二の丸跡
遊興的な曲輪であった。 |
空井戸
二の丸にある73mの深さの空井戸。 |
滝廉太郎銅像
二の丸跡に建つ、朝倉文夫作の銅像。この岡城跡のイメージによって、名曲「荒城の月」を作曲している。 |
くじゅう連山
岡城跡に立てば、左から久住山、大船山、黒岳のくじゅうの山並みが見える。
九州の名山・くじゅう連山を源とし、大野川、稲葉川が市の中央部を流れ、稲葉川は本川の大野川に合流、別府湾に注いでいる。 |
御三階櫓台の石垣
本丸には天守の代用として御三階櫓があり、本丸の北西隅にあった。 |
西の丸御殿跡
寛文3年(1663)に、西の丸御殿が造営され、以後西の丸が藩政の中心となった。 |
家老屋敷跡
西の丸に、家老屋敷や城代屋敷が構えられていた。 |
殿町武家屋敷通り

古田家中間長屋門
この長屋門の半分は、弘化4年(1847)に建てられた中間長屋が基を成しており、江戸時代の間は中間長屋として利用されていた。 |
長尾家
奉行職を務め、当時は見事な庭園があったと云われている。 |
北條家
岡藩8代藩主久貞候の側室北條織江の生家で、孫の久持は15歳で第9代藩主となった。 |
佐藤家
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竹田創生館
もともとは中級武士の武家屋敷。竹下登ふるさと創生事業資金を活用して復元したもの。 |
毎年2月中旬〜3月にかけてはお雛様の展示、11月中旬には「たけた竹灯籠 竹楽(ちくらく)」の会場としても利用されている。
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キリシタン洞窟礼拝所
戦国時代に、キリシタン大名の大友宗麟が治めた影響もあり、江戸幕府の禁教後も、密かに信者たちは「洞窟」で信仰を続けていたと云われている。 |