鹿児島城(鶴丸城)
本城は、「鹿児島は城をもって城とせず、人をもって城となす」との言葉通り、本丸、二の丸を配し、水掘と石垣で囲んだ簡素なもので天守閣は築かれなかった。城の周囲には「麓」と呼ばれる集落に武士を配置、土着させて軍事、行政にあたらせていた。 |

二の丸跡に建つ西郷隆盛像
加治屋町界隈には、西郷隆盛をはじめ、大久保利通、大山巌、東郷平八郎らの「誕生の地」の碑が建ち並んでいる。西郷隆盛の生誕地は小さな公園になっている。 |
知覧麓の武家屋敷群
現在残る武家屋敷群は、佐多氏16代島津久達(1651〜1719)の時代もしくは、佐多氏18代(1732〜1772)の時代に造られたものではないかとされています。
地区内は石垣で屋敷が区切られ、沖縄によく見られる石敢当(魔除けの石碑)や、屋敷入口には屋敷内が見えないように屏風岩(沖縄のヒンプン)があります。知覧の港が江戸時代に琉球貿易の拠点であったことから、武家屋敷も琉球の影響を多く受けているようです。 |
西郷恵一郎庭園(名勝庭園)
西郷恵一郎氏庭園は、庭の南東部の隅に枯滝の石組みを設けて高い峯とし、この峯から低く高く刈込まれたイヌマキは遠くの連山を表現している。 |

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平山克己庭園(名勝庭園)
平山克己氏庭園は、母ヶ岳の優雅な姿を取り入れた借景園である。北側の隅には石組みを設けて主峯となし、イヌマキの生垣は母ヶ岳の分脈をかたどっている。 |

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平山亮一庭園(名勝庭園)
平山亮一氏庭園は、石組みの一つもない大刈込一式の庭園である。イヌマキによる遠山は、その中に三つの高い峯を見せ、前面にはサツキの大刈込みが築山をかたどっている。母ヶ岳を庭園に取り入れた借景園である。 |

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佐多美舟庭園 (名勝庭園)
佐多美舟氏庭園は、寛延4年(1751)に造られたものといわれ、知覧庭園の中では最も豪華で広い庭園である。枯滝を造り、築山の上部に石灯、下部の平地には、各所に巨岩による石組みを設けている。 |

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佐多民子庭園(名勝庭園)
佐多民子氏邸庭園は、巨石奇岩を積み重ねて深山幽谷の景を写しだす庭園である。 |

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佐多直忠庭園(名勝庭園)
佐多直忠氏庭園は、借景の母ヶ岳を望む庭の一隅に石で組まれた築山を設けて、その中心部は立石と枯滝の石組みを配した庭園である。 |

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森重堅庭園(名勝庭園)
森重堅氏庭園は、曲線に富んだ池には、奇岩怪石を用いて近景の山や半島をあらわし、対岸には、洞窟を表現した穴石を用いて水の流動を象徴している。知覧の庭園には珍しい池泉式の庭園である。 |

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旧高城家住宅庭園
旧高城家住宅は、明治以前に建てられた武家住宅であり、「おとこ玄関」と「おんな玄関」の二つがある特徴を持っている。他の知覧型二ツ屋と同様に「おもて」と「なかえ」の二つの屋根の間に小棟を置いたタイプのもので、知覧だけにみられる。 |

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二つ屋根家屋
鹿児島に独特だといわれる二ツ家の中で、特に知覧だけに見られる二ツ家は、二ツの屋根の間に小棟をおいてつなぎとした造りです。 |

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稽古所跡
江戸時代後半、郷士子弟の教育の場です。 |
石敢当
三叉路の突当りに建てられているこの石は、屋敷内に魔物が入ってくるのを防ぐとされる「石敢当」という魔除けである。中国発祥の信仰で、江戸時代に琉球(現在の沖縄)を経由して鹿児島に伝わり、よく十字路や三叉路に設置された。現在、知覧では麓(武家屋敷群)と海運で栄えた海岸部を中心に10数基確認されている。観光パンフ・案内板より |
清流構
知覧の町に流れる麓川の疎水。その清流構には水車が廻り鯉が泳いでいる。 |
麓 川
町の北を流れる麓川沿いの南に武家屋敷の麓集落がつくられている 。 |